こざっぱりとした仏壇の上には未だ充分に若い、 素敵な笑顔をした女性が微笑んでいた。 僕は線香に火を灯し、深く深く手を合わせる。 「コーヒーで良いでしょ?」 「あ、お構いなく。」 ユキは座卓の上にコトッとコーヒーを置いた。 そして亡き母の写真を遠い瞳をして見る。 まるで彼女一人だけ何年も歳をとった様だった。 そしてそれは僕をこの上なく悲しくさせた。 僕は座卓の前に座ってコーヒーをすすりながら、 ついそう言ってしまった。そして言った後に後悔した。 言った後に後悔する。そんな事ばっかりだった。 ユキが座卓を挟んで僕の反対側に座る。 「そうね・・・・私達を残して逝ってしまった素敵な母よ。」 僕の胸が強烈にえぐられた。 沈黙が部屋の中を支配する。息苦しい沈黙だった。 「・・・・そんなつもりじゃなかったんだ。」 僕は声を絞り出すようにしてそう謝った。 ユキも言って後悔したのか、小さな声で答える。 「解ってる・・・・ごめん・・・・。」 しばらく重い沈黙が続く。 彼女はずっとコーヒーカップの辺りを虚ろな目で見詰めていた。 僕は沈黙を誤魔化す為に何度もコーヒーを口に持って行った。 中身は少しも減っていなかった。 「・・・・あっという間よ。」 ユキが呟くように言う。僕は黙っている。 「何の前触れも無く死んじゃった。 その日の午後、私が家に帰ってきたらもう冷たかったの。」 僕は嫌な気持ちだった。 かける言葉も見つからずに、ただ彼女の虚ろな瞳を見ていた。 「死人の顔ってね、本当に透き通るように白いのよ。そして冷たいの。」 「もう良いよ。」 僕はそれ以上聞いていられなくなってそう言った。 ユキは未だ下にうつむいている。 「皆がお葬式の用意をしている中でね、 私は母さんと二人っきりで暗い部屋にずっといたの。」 「もう良い!!」 僕はそう怒鳴った。そして気がついた。 ユキがうつむきながら、大粒の涙を零しているのを。 僕は焦った。 彼女は人前では決して涙を見せようとしないタイプの 人間だと思っていたから。 「・・・・・・・・。」 ユキは唇を噛み締め、黙って震えていた。 それは必死に泣き崩れるのを堪えている様だった。 「・・・・・・・・。」 僕はしばらく黙ってその様子を見ていた。 だが、突然立ち上がると、ユキの方に歩いて行き、 その横にどかっと座った。 ユキは驚いて、涙も拭わずに僕の方を見る。 僕は前を向きながら、その彼女の頭を 優しく手でポン、ポン、と叩いて言った。 「・・・・泣けよ。我慢しないで大声で泣いちまえよ。」 月並みな台詞ではあったのだが、僕は本心からそう思って言ったのだ。 自分の心の鬱屈を我慢すると、その先にある闇は深くなる。 僕はその事を身をもって知っていた。 それを知っていたからこそ、僕はユキに 自分と同じ道を歩んで欲しくなかったのである。 そしてその言葉は、彼女の頑なな心の堤防を突き破る事が出来た。 「わあああああああ!!!!!」 ユキは僕の胸にすがりつくようにして、泣き崩れた。 僕は彼女の頭を抱え込むようにして抱きしめ、 窓から見えるその風景を遠い瞳で眺める・・・・。 真っ赤なトマトを握りつぶしたような夕焼けが、 この世にある全てを染めていた。 ユキは泣き疲れたのか、うっすらと涙を浮かべながら寝息をたてだした。 精神がまいって、きっとろくに寝られなかったに違いない。 僕は彼女の涙を指で拭ってやる。 その寝顔は何時もの様な冷たい表情ではなく、子供の様な純粋な寝顔だった。 その顔を見て僕は、彼女がいくら日常で強がっていても、 ごく普通の中学生なんだという当然な事を思い知らされた。 寝室の場所が解らなかったし、あらぬ誤解を受けるのも嫌なので、 僕はユキをソファーに寝かせ、外に干してあったバスタオルをかける。 カバンからメモ帳を取り出し、紙を破ってこう書き殴った。 『帰る。コーヒー美味かった。泣きたい時には、泣いた方が良い。』 可愛い寝顔だった・・・・と書こうか迷ったが、書かずにそれを 座卓の上に置くと、静かに彼女の家から立ち去った・・・・。 (←前の章へ) (次の章へ→) |