一人ぽっち

 約束の時間から、約1時間が過ぎようとしていた。
 僕は改札口を抜け、三両編成の電車に乗り込んだ。
 ユキが時間に遅れた事は、今まで1度も無かった。
 何故、こんな大事な日に、来ないのか。
 いくら考えても答えは出なかった。
 きっと急な用事でも出来たのだろうと思う事にした。
 だが、何か割り切れない思いが頭を占める。
 無秩序に揺れる電車が、僕の心を妙に揺さぶった。
 
 僕は何時の間にかあの校舎の前に立っていた。
 そうだ、僕が今日出かけたのはこの為だった。
 高校の合格発表の日である今日、僕とユキの今後が決定される。
 それだけに、彼女と一緒に居られない事に胸が絞めつけられた。
 恐る恐る、文字列が並んでいる掲示板の前に立つ。
 心臓が、早鐘を打っているのが解る。
 自分の人生を決定しかねない重大な情報が、
 その掲示板に載せられているのである。
 その時の僕の心は、裁判の判決を待つ被告人と言った感じだった。
 ドクン、ドクン、ドクン。
 自分の心拍音がこれほど明瞭に聞こえるのも久しい。
 ユキの番号も、自分の番号も解っている。
 同じ学校だったので、番号も近い。
 深呼吸をした後、勇気を振り絞り、僕はその運命を
 受け入れる為に顔を上げた。
 
 ・・・・神様!!!
 
十四章 〜神の存在〜

「・・・・ええ、ええ、ユキも合格していました。はい。
 ありがとうございます。それでは、失礼します。」
 
 ガチャ。ツーッ・ツーッ・ツー。
 
 まるで夢の中に存在している様だった。
 自分が努力していたとは言え、模試の判定等が悪かっただけに、
 不安は当然あった。
 ユキについては何も心配していなかったが、最近は顔も青白くなり、
 痩せ細っていたから、相当ストレスとプレッシャーがあったんだと思い、
 上手くいかなかったのかな、と些かの危惧はしていたのだ。
 だがともかく、ユキと再び三年間共に居られる事が解って、
 僕は喜びに浸っていた。
 誰彼無しに、この喜びを伝え、自慢したいくらいに。
 
 僕は、ユキに直接会ってこの喜ばしい事実を教えたかったから、
 学校に先に電話した。
 僕の担任は、僕達の事を勝手にしろと思っていたらしいが、
 合否の結果くらい教えてやっても良いだろうと思い報告したのだ。
「双方合格」を伝える前の態度と後の態度では、えらく豹変していたが、
 まぁ別にどっちでも良いと僕は思った。
 結局、僕は学校に微塵も世話になっていない自信はあったし、
 それよりも、これからの学校生活に胸を躍らせていたから。
 
 ・・・・駅にあるコーヒー店で、僕はユキの好きなコーヒー豆を買った。
 彼女はコーヒー入れの達人で、僕は彼女のおかげで
 コーヒーが好きになった様なものだった。
 久しぶりにユキの入れるコーヒーが飲みたかった。
 そして今後の事について談笑しながら、
 二人で穏やかな時を過ごしたかった。
 コーヒー豆の香りが鼻をくすぐる。
 僕は知らないうちにニヤけていた事に気付いた。
 頬を一・二度パシッと叩いて、顔を引き締めるも、
 知らず知らずのうちに心と顔が緩む。
 
『まぁ、今日くらいは良いか。』
 
 僕はそうフフッと笑うと、駅に停めていた自転車に乗って、
 ユキの家まで走った。
 
 
 彼女の家の前に立つと、はやる気持ちを必至に押さえて、
 そのプッシュホンを優しく押す。
 
『ピンポーン』・・・・返事がない。
 
『ピンポーン』・・・・返事がない。
 
 僕は頭を掻いて、もう一度鳴らすか鳴らすまいかを考えた。
 ・・・・プッシュホンに手を伸ばす。
 
『・・・・・・・・・・』・・・・僕はプッシュホンを押さなかった。
 
 頭をカリコリ、と掻いて、さてどうしたものかと
 ドアに背を向けた、その時。
 
「・・・・誰・・・・?」
 
 聞き慣れた声が僕の動きを止めた。
 僕が振り返ると、ドアの少しの隙間からこちらを覗いている
 蒼ざめた白い顔が見えた。
 
 何処かで見た風景。何処かで見た光景。何処かで見た映像。
 
 僕は酷く嫌なデジャビュー・・・・既視感に苛まれた。
 割れる様に痛む頭を押さえながら、その顔を見る。
 よく見ると、その人はユキではなかった。
 どちらかと言うと、彼女の母親に似ている・・・・
 ・・・・ユキに、四つ上の姉が居る事は前に聞いた事があった気がする。
 僕は、何故か汗ばむ自分の額を手の甲で拭い、
 ユキのお姉さんだろうと思われる人に、自分の用件を告げる。
 
「あ、あの、ユキさんはいらっしゃいますか・・・・?
 高校受験の結果の事で、ちょっと・・・・。」
 
 僕はそれだけ言って返事を待った。
『合格したよ』、という言葉は自分が言いたかったからだ。
 ・・・・ユキのお姉さんらしき人の瞳は少し宙をさまよっていたが、
 やがて小さな溜め息を吐いて・・・・そう、ユキそっくりに・・・・
 僕の瞳を見て、やや機械的に、淡々と、こう言った。
 
「ユキは、死にました。自分の部屋で。
 ・・・・自分の首に、縄をくくって。」
 
 
 この時、僕はこの世に神など居ないと確信した。
 
(←前の章へ) (次の章へ→)