一人ぽっち

 季節は夏から秋に変わり、そして人を凍え身を縮ませる冬へと変わった。
 僕とユキは、石油ストーブで隅々まで温かくなっている職員室に
 二人同時に呼ばれ、担任の前に立たされていた。
 理由は僕らには充分察しがついていた。
 この時期になって、未だ進路を決めていなかったのは
 クラスで僕とユキの二人だけだったからだ。
 ユキは成績優秀で、常に学年一位であったし、
 僕も波があったり定期試験は悪かったりしたが、
 模試では県で1桁台の順位を取る事はザラだったので、
 教師としても良い高校に入れたかったのだろう。
 自分の株を上げる為にも。
 その察しの通り、担任がまるで義務的な事のように僕らに進路を聞く。
 僕は明確な返答はせずに、ただ生返事をしてやり過ごそうとした。
 この中学の教師に何も期待していなかったし、
 何かを言ったとしても無駄だろうと感じていた。
 誰にも自分の事は解ってもらえない、隣に居るこの人以外は。
 そう思っていたから。
 僕は、自らかぶる仮面の重さに、この頃から耐えられなくなってきた。
 仮面をかぶり、固定観念で接してもらう方が気は楽だ。
 だが、常に仮面をかぶる事を強いられるのは・・・・苦痛でしかない。
 
 そして、この日を境に僕とユキは学校から孤立する事になる。
 
十一章 〜脱いだ仮面〜

「お前達が望めば、東京あたりの一流私立高校にだって推薦してやるぞ?」
 
 豚の様に鼻をヒクヒクさせて、丸顔の担任が嫌な笑顔でこちらを見ていた。
 最初から、そのつもりだったのだろう。
 アクの強い僕らには、推薦が一番手っ取り早いと、
 またその実力も充分にあると思ったのだろう。
 だがそれはユキにとってあまりにも無神経な誘いだった。
 担任のその言葉を聞いた途端、ユキの態度が一変した。
 
「私は一流高校なんて興味ありません。私立にだって行きません。
 貴方達の世話にはなりませんから。・・・・失礼します。」
 
 何の感慨も込めず、冷たくサラリとそう言いきった彼女は、
 素早く一礼してその場から立ち去り、出て行った。
 
「な、なんだぁ!?あの態度!!人が心配してやったというのに!!」
 
 当然憤怒して顔を真っ赤にし、ブヒブヒ言いながら、
 担任が僕に同意を求める。
 偽りの仮面をかぶりつづけていた僕は、教師に受けが良かった為に、
 当然「教師の求める答え」を答えるとばかり思ったのだろう。
 だが、僕はクスッと小さく笑った後にこう言った。
 
「すいませんね、先生の株を上げる事が出来なくって。
 僕らは僕らの行きたい高校に行きますから。
 一流というネームバリューで動かされる大人にはなりたくないですし。
 取り合えず入ってみろ、と皆言いますが、無料なら行きますよ?
 でも私立高校に行く負担がどれだけかなんて考えた事ありますか?
 それに子供が良い高校行くのに反対する親がいないとか思ってません?
 東京の一流高校に行けば、当然下宿代もかかりますね。
 何らかの寮に入るとしても、お金はかかるでしょう。
 先生方は行かせたら、はい、終わり。ですけどねぇ。
 貴方達はその一流高校に行けるほどのレベルの授業をしましたか?
 低レベルな授業を受けた為に高校で授業についていけなかった
 という人の話は良く聞きますよねぇ。
 僕らもそうなりそうで怖いなぁ。
 それに大体恩着せがましいんですよね。
 推薦で行くんなら自己推薦で行きますよ。
 ユキの言う通り、貴方達の世話にはなりません。
 思惑通りに行かなくてすみません。じゃ、これで。」
 
 ぺこっと一礼して、すたすたと職員室を出て行く。
 完璧に嫌われたな、と苦笑しつつも歩行を止めない。
 担任が殴ってくるかとも思ったが、唐突の裏切りと、
 話す言葉の速さと流暢さに圧倒されたのか、ただ大きく
 目を見開いて、岩のようにその場に硬直しているだけだった。
 背後で他の教師が怒号で呼び止めようが、「最近の子供は!」と
 言ってようが、別段気にならなかった。
 何のお世話にもなっていない教師達の株を上げる気にはなれなかったし、
 恩着せがましい言い方が嫌だった。
 何しろ、その無神経さが一番腹立たしかった。
 
 職員室の扉を閉めると、その横にユキが立っていた。
 
「随分とハデにやったわね。」
 
 困ったような顔をしながら、ユキが言った。
 
「別に。本音だし。」
 
 僕はユキの横に立ってそう笑いかけた。
 ユキはちょっとだけ下を向く。
 
「・・・・一人だけ良い顔するかと思った。」
 
 そしてまた僕の顔を見上げながら、苦笑する。
 
「ひでぇなぁ。お前を一人ぽっちにするわけ無いじゃん。」
 
 僕がそう笑って見せると、彼女はまた下にうつむいて黙ってしまった。
 僕は少し照れ臭くなり、頭を軽く掻いて、壁にもたれかかる。
 
「それにさ、お前が私立行きたくない理由も解ってるし・・・・な。」
 
 ユキは驚いた様に僕の顔を見る。
 母親を亡くした彼女は、現在父親と二人で暮らしている。
 彼女は、そんな父親にあまり負担をかけたくなかったのだ。
 それに、彼女が東京に行けば・・・・父親は一人ぽっちになってしまう。
 僕は、そんな彼女の心情を当然察していた。
 一見、意地っ張りで融通のきかない傲慢な人間だと噂される彼女だったが、
 そんな彼女の健気で、柔らかな優しさのある所を、
 僕は充分知っていた。
 だから、僕はそんな彼女を守ってやりたかったのだ。
 
 ユキは僕の言葉に戸惑い、何かを探るように手を動かし、
 自分の中で言葉を探し整理しようとしていたが、
 やがて諦めて手を下ろし、深い溜め息を吐いた。
 
「・・・・言葉が見つからないの。その、凄く感謝はしているんだけど・・・・。」
 
 ユキは下にうつむいたまま、苦笑いして寂しそうにそう呟いた。
 僕はしばらく何も言わなかったが、やがて優しく彼女の肩に腕を回して、
 彼女の髪を撫でながら優しく囁いた。
 
「君の中の、純粋な感情のコア・マテリアル・・・・
 それを見せてくれるだけで良いんだよ。」
 
 ・・・・ユキはしばらくその意味を考えていた様だった。
 そして、ゆっくりと彼女の口が開いたのと同時に、
 彼女の言うだろう言葉と同じ言葉を、僕も伝える。
 
『アイシテル』
 
 見事に合致したそのキーワード。
 僕らは顔を桜色に染めながらも、二人くすくすと笑っていた。
 そして僕が自然の流れの様にユキの唇を奪おうとすると、
 彼女は僕の唇に人差し指を当てて制止した。
 
「ありがと。」
 
 にこっと笑って、ユキは自分のクラスに戻って行った。
 残された僕は、久しぶりに見た彼女のあの笑顔に、
 ドキッとしながらも今の自分の顔を見られないで良かったと、
 苦笑しつつ頭を掻きながら、自分のクラスに戻って行った。
 
 
 担任から僕の家に電話があったようだが、
 両親はその事について何とも言わなかった。
 別に僕の事を理解してくれていた訳で無く、
 ただ僕が何をしようが構わなかったのだろう。
 僕が人を殺した罪で刑務所に入ろうが、
 彼等は平気な顔で“他人だ”と言うだろうから。
 

(←前の章へ) (次の章へ→)