優等生にはわからない


 国語ができるやつは不良だ。 昔、ニフティーの掲示板にやたら議論好き(喧嘩っ早い)な国語教師と名乗る人が出没していた。彼はその掲示板にエッセイの様な物をたまに掲示していたのだが、これが結構面白かった。その中で彼の友人の国語教師の言葉として“国語ができるやつは不良だ”という言葉が出てきた。作家の屈折した心理、ねじ曲がった表現、押しつぶされた感情は、何の問題もなく優しく育てられた“良い子達”には理解できない、ということらしかった。

 中学生の時、国語の教科書に ある小説が載っていた。細かいことは忘れたが、蝶をこよなく愛するあまり裕福ではない繊細な少年がいて、蝶の標本を自作して沢山コレクションしていた。彼のクラスに金持ちの家に子供がいた。ある時、そいつの家に非常に貴重(高価)で美しい蝶の標本があることを聞きつけた少年は意を決して、あまり親しくはない、そいつの家を訪ねた。もちろん その美しい蝶の標本を見せて貰うために。偶然にもその家には誰も居なかったが、彼は蝶見たさに家に忍び込んでしまう。

しばらく探した後、蝶の標本を発見した彼は、あまりの美しさに手で触れたい衝動に駆られ、そして壊してしまう。呆然となり、自宅に逃げ帰った少年は、自分の大事にしていた蝶のコレクションを全部、粉々にしてしまう。そんな内容だったと思う。何時間か掛けて、教師は、その小説を読み進んだ後、この結末で、なぜ少年は、自分の大切な標本を壊してしまったのかと生徒に問うた。当時の私には全く想像も出来なかった。クラス中の皆もやはりわからなかった。「俺の担当する3クラスでわかったやつは誰もいない。」と教師はいっていた。しかし、一人の女の子が手を上げた。普段あまり目立った印象のない子だった。
「私にはわかります。」彼女はいつにないハッキリとした口調で答えた。「彼は・・・・・・です。」とうとうと彼女は答え、教師は満足げな笑みを浮かべる。「そんなことも、わからなかったのか。」私は小説の中の少年に、少しだけ近い“呆然”を味わった。
 今、その記憶をリセット出来たとしたら、少年の気持ちを理解できるだろうか。あまり自信はない。でも中学の時よりチョットはマシかも...。少しは不良になれたかな。沢山、不良になりたいな。

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