・・・苦いかしょっぱいか...

いろいろとボンヤリ考えています。魂の真の平安とか、タイムリミットとか、ある感情の裏側の感情とか...。
さっき墓参りに行って来ました。お彼岸だしね。平日の夕暮れ時に墓参りする人はやはり僕一人で、心細かったです。無人販売の線香、100円。そしてお金入れには南京錠。性善説はもう世界から消えてしまったのでしょうか。別に強い信仰心でもなく線香を焚き、手を合わせると、そんなモノにすがりたい弱さが頭をもたげます。...現世利益...。僕の最も嫌いな言葉。嫌いな心の裏には、わかりやすい「苦しいです。助けてください!」が隠れていました。この間、習ったばかりでした...。

心の本当の安らぎ。それが世界のどこかにあるのか探しています。それがホントに在るのか無いのか、わかりません。僕の周りでは見つけた人はまだいないようです。もし「私はそれを見つけた、私は世界の真理を悟ったのだ」なんて人が目の前に現れたら、僕はきっと疑います。そして聞こえないようにつぶやくでしょう。「真理や悟りなんて口走る奴に限って、一番それらから遠いもんだよな。」なんてね。それでも周りを見回すと、それほど苦もなく生きている人々が沢山...。みんなはその場所を知っているのでしょうか。眺めていると何人かの人々には、やはり自分と似たような「匂い」さえ感じるんです。でも時に楽しげに、時に淡々と生きているんですね。みんなは見つけたんでしょうか。見つけていないような気がします。みんなに聞いてみたならば「なに言ってるの?ちょっとおかしいんじゃない?」って怪訝そうな顔をされてしまいそうで聞けません。しばしまた考え、何か感じました。純度かなって思いました。別に証拠はありません。魂の平安の純度、心の安らぎの純度。僕らは高純度を求めすぎていたのかもしれません。他のみんなは手に入りやすい、そこそこの純度で取りあえずのかりそめの安らぎを得て満足しているのかも...。やはり「そこそこ」であるため、不安や苦痛にも出会い、時に考え、時に誤魔化しながら...。運良くより高純度のモノに出会えたら乗り換えてみたりしながら...。それでいいかもしれない。それでいいのかもしれない。そんな風に思いました。

手を合わせ、心ならずも「教えて、助けて」と思ってしまった僕がいて、見上げれば、きれいな空に上弦の月。
「肩の力を抜きなさい。」
聞こえた気がしたその言葉は、僕の心のつぶやきでしょう。

疲れたので今夜はこれで...。

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