ナマケモノという生き方


  僕には素敵な薬を手に入れる手段がないから、僕にはその知識がないから死ねません。僕には素敵な言い訳を思いつく脳味噌がないから死ねません。さっきまで のお手軽な逃避と高揚感は、満腹の腹をさすりながらディスプレーの前に座った途端に消え去りました。なんでこんな簡単なことが伝えられないんだ!はじめて 本物の涙がにじみました。そして押さえました。僕は上手に泣けないから、心が洗われません。僕は刃物が怖いから、心のゲロを吐き出すという自傷行為でし か、生きている今を感じられません。これは自傷と呼べるのか、それとも自笑に過ぎないのか...。

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  ナマケモノというご機嫌な名前の生き物がいますね。人間様の有り難い命名に文句も言わず美しくもなく動作も鈍く、軽蔑と生きている価値のないモノの代名詞 に使われている、あのナマケモノです。動物園でも不人気No.1ですかね。だっていつも寝てばかりでちっとも動かないから面白くもなんともないですもの ね。

 それはどの位前だったか、おそらく10年以上前。テレビを見ていたんです。おそらく日曜だったか土曜だったか、午後 の放送が間延びしがちな時間帯だったように思います。最初からだったか、途中からだったか思い出せません。主体的能動的に見たいと思った人がどれほどいた か疑わしいほど有り触れた動物ドキュメンタリー。僕もまた消去法から導かれた消極的な態度でその番組を眺めていました。暇つぶしにさえならない退屈なブラ ウン管の中。なぜ見続けたのか、今考えると不思議ですが...。
 そのジャングルで何年も動物たちを観察しているというカメラマンの方がナレーションをしていました。その方はどうも、特にナマケモノが好きらしいと、そ の喋り方で感じました。そしてその神経を少し疑いました。何が面白いんだろう?チョットおかしいんじゃない?とね...。
 ナマケモノはその人生のほとんどを、木の上で眠って過ごすのだといいます。確か番組の中でそう言っていました。起きて活動するのは餌である木の葉を食べ る時と何日かに一回の排泄のために木から降りる時、そして交尾の時だけだそうです。餌を食べる時でさえ手の届く範囲の葉っぱをむしる位しか動きません。排 泄のために地上に降りる動作はひどく鈍重で見られたものではありませんでした。そして根本的に美しくない。もっと言うなら、彼らには悪いですが、正に「醜 い」という表現がピッタリな感じさえしました。彼らには野性の生き物が持っているべき存在の尊厳が、気高い美しさが全く見あたりません。カメラマン氏はそ れでも彼らの肩を持ち控えではありましたが、何やら言い訳めいた言葉をつぶやきます。彼らが眠ってばかりいるのは、無駄なエネルギーを消費しない為である とか、動きが鈍いのは、エネルギーを出来るだけ使わない体の仕組みになってしまっているから、早く動かきたくても動けないだとか。取って付けた言い訳を、 勝ち目のない弁護をしていました。
 やがて制限時間は迫り、そのカメラマン氏は、はじめてテレビカメラの前に姿を現します。いかにも世渡りが下手な感じの男性がマイクを持つ手もおぼつかな いという風に、頼りなさげに立っています。彼がなぜ日本を離れ何年もの間、そのジャングルにとどまってのか。僕の中の嫌味な心がが一瞬に見抜きます。きっ と太刀打ち出来ない何から逃げ出して来たに違いありません。自分より醜く弱く価値のない存在であるナマケモノを観察することでしか、自分の薄汚れたプライ ドを保つ術を知らない悲しき負け犬。作られた原稿を昨日一生懸命覚えたんだよな。恐らく一生に一度の大舞台で、君の口からは当たり障りのない自然賛美ぐら いしか出て来やしないんだろう。せいぜい間違わないで言えたらいいね。だけど君をカメラの前に出したのはディレクターの最大の間違いだよ。それも致命的な ね。茶番だね。今までの時間を返して欲しいくらいだよ。
 焦点の定まらない情けない目が、何かを思い切ったかのように一瞬カメラを見据えました。
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 ナマケモノの姿は私たちに何を問いかけているのでしょうか。大量生産、大量消費の現代社会の常識が、彼らには全く通じません。それどころか、競争原理、 自然淘汰、弱肉強食、ひいては進化論の根本までを私たちに問い直させているのかもしれません。敵の存在しない木の上では、ほとんど眠って過ごす彼らの一生 が必ずしも怠惰であり絶対悪であるとは言い切れません。西欧文化の根本の価値観が、日本もまた西欧圏としての価値観に満たされていますが、その価値観が問 われている気がしてなりません。私はそのことを - - - 云々 - - -。視聴者の皆さんには - - - 云々 - - -。
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 あまりにも予想外な言葉に...、醜くいやらしい僕の思い込みに...、絶句。お決まりのムードを盛り上げる安っぽいのBGMの中、暫し呆然としていた 間抜けな僕。夢を覚ますはずの、よそよそしいCMが流れてもまだ、現実世界に戻ることが出来きずにいました。夢遊病者のように夢とウツツの区別もつかず、 何が絶対で何が真実なのか、ただ混乱していました。
 なに?何?ちょっとまってよ。頑張るってことは、しっかりやるってことは、一生懸命は、絶対的善じゃないってこと?いくら頑張ってもあいつには勝てな いってことや、もう全部がダメだって思えることや、愚かで醜いことや、そんなことがやっぱりダメって訳じゃないってこと?わからない!理解できないよぉ!
 
 もう随分と前に、既成概念とか一般常識とか、そんな説明のつかないお仕着せは捨て去ったはずでした。何もないところから、信じられるモノだけを注意深く 選んで、自分だけの正義を積み上げていったつもりでいました。「なんてこった...。」なんてため息一つ。またやり直しだなと悟りました。当たり前の根本 の、そのもっと下からはじめなければならないようです。でも怖くはありませんでした。その道はいつか来た道で、何が信用できるかは、まだわからないけど、 どうやって積み上げたらいいかは知っています。また崩れたら、もっとしっかりした土台から作り直せばいいこと。一生かかったって、そんなに高くは積み上げ られないかもしれないけど、欲しかったモノはそんなもんじゃなかったんです。

 がっしりとした安定、不安という揺れを感じない場所。許された自然体、懐かしい心地よさ。

 
 そんな僕の禅問答なんて露知らず、ナマケモノは眠り続けているんでしょう。ナマケモノの見た夢は何なんでしょうね。僕はこの人生でどんな夢を見ればいいんでしょう。もしかしたら、生きていたなんてことが、よくできた夢...なのかもしれません。

 そんなことを感じてしまった若き日の記憶。でっち上げのノンフィクションでした。

 

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