その時のイメージ

 そいつは真夜中に突然やって来た。鈍い痛みが幸せに最も近い状態を奪っていった。頭蓋骨の右奥。奥歯よりもっと上。重く例えようのない痛みだった。いや、痛みと認識するまで少し時間が必要だった。寝ぼけた脳味噌はそれ自身の異常をしばらく飲み込めずにいた。「コイツは尋常じゃない...。」冷や汗とうめき声の中、生命の本質的な部分が事の重大さを感じ取っていた。痛みは緩やかに増大し、通常の思考回路を遮断しつつあった。突然、嘘のように痛みが消える一瞬があり、思考回路を復旧し原因と対策を探ってみる。しかしソイツはまたやって来て訳の分からないまま、うめき声だけのケダモノにされてしまう。そんなことを繰り返し、途切れ途切れの思考をつなぎ合わせてみる。右の上の奥歯辺りが怪しい。確か生えかけで止まったままの親知らずがあった筈だ。虫歯になりはしないかと思っていたが...。もしかしたらそこが浸食され、骨までやられたのだろうか。その穴から雑菌が侵入し脳味噌まで食いつぶしはじめたのか。本能的に感じる赤信号と上手く働かない思考回路の見解が合意に達した時、次に予測される事態は自ずから明白だった。遂に「その時」が来たんだなと思った。「ああ、なんてこった。」とひ弱な心がつぶやいた。いや、まだ間に合うかもしれない。しかし、うめき声に力さえ入らず体を起こすことさえも出来やしない。今更助けなど呼んでも仕方ない。そんな風にしか思えなかった。諦めた。受け入れた。そしてまた激しい痛みが来る。薄れていく意識の中で思う。少ない友達や好きになった人達...。「みんなありがとう〜。愛してるよ〜。」とうちゃんやかあちゃんのこと...。今までの人生...。「結局何もない一生だったな、何も手に入らなかった。」生きてきたことの無意味さはまあいいとして、なんか違う感じがしてきた。さっきの「ありがとう」や「愛してる」は気持ちが入っていない。どうなんだろう、最後はもっと安らかに来るべきで、まだ何か心残りがあるみたいだ。お花畑も見えてこない。ただ苦痛と後悔だけが体を貫いていた。「ちょっと待ってくれよ。こんなんじゃやだよ。もう一度チャンスをくれよ。こんな気持ちで死にたくないよ〜...。」

 いつの間にか意識はなくなり、別の世界で目覚める。いや違う。何だまだ生きている。ひどく疲れた体がそれを物語っている。痛みは今はない。重さは残っている。チャンスを貰った安堵感ではなく、死にきれなかった今までの生き方を感じ、重苦しい気持ちになった。

 痛みの原因は親知らずそのものだった。止まっていたのが動き出した痛みだった。原因がわかれば痛みも耐えられた。しかし...。気持ちよく死を受け入れられる生き方がわからない。出所のわからない生きる痛みを感じながら僕はそれを探していくんだろうな。僕にとってはあんな気持ちの死はもっと苦痛なんだろう...からね。

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