心の生き物

 ###さん、どうも...。昨日の話をもう一度考えてみますね。

 コリン・マッギンさんは何を言いたかったんでしょう。なにぶん、まだ読んだのは本の紹介の記事だけなので(今日、本屋さんに行こうと思っています)想像の域を超えませんが...。心と脳の問題について、全てを科学的に説明できると思うのは愚かしいことで、でもすぐに神秘的なモノ(霊魂など)を持ち出して説明しようとすることも怪しいのではないかと言っているのでしょう。「心と脳」の問題を「心と脳」自身が理解するには限界があり、全てを説明できないという説を唱えているだけだと想像します。それ以上のことを言いたいのではないと思います。

 僕は魂を信じたい人間です。前に一度そんな話をしました。輪廻についての話でね。でも魂の存在をしっかり証明できません。僕のじいさんが亡くなる数日前、家族や親戚の人の夢枕にまであらわれたことがありました。亡くなる日の朝、洗面所でタオルが落ちるのを見て僕は「!!」を感じ、じいさんのいまわの際を見届けられたことがありました。夢は願望だと説明できるし、タオルは偶然だと言いくるめることも可能ですね。でも複数の人が同じ人の夢を見る確率や、タオルがその時に落ちる期待値を数字で表現して、一体なんの意味があるでしょうか。魂は証明したり説明したりするモノとは違った次元の存在ではないかと最近思うようになりました。それぞれの内側で、感じたり感じなかったりすればいいモノではないかと思っています。「何で人間は魂があると考えるのでしょうか?」という問いに「それはただ感じてしまうから...」としか答えられません。僕はただ感じている人間です。曖昧ですが、これが僕の「魂」のとらえ方です。答えになっているのかなぁ...。
 だからもう魂を使って生きる意味を考えようとは思いません。魂なんて信じられないと言われてしまえば、それでお終いだからです。でも僕らが有機物で出来たロボットだとは思いたくない。ロボットだったら悲しい。ロボットだったら「悲しい」と思う心さえ無いハズだと思います。

 魂なら信用できなくても、心なら信じられそうですよね。人間は心の生き物だと思います。いいえ、人間“も”心の生き物だと思います。心を見つめ、心で語り合いたい。心で感じ、心に伝えたい。心の隙間を埋める何かを、僕もまた欲しがっているのです。僕の言葉は何かを伝えていますか?ただ奪い取っているだけですか?「1+1=2」ではない世界が僕も好きです。

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