格好いいコト、つけるコト

 格好いい男になりたかった。なぜって...、格好悪かったから。格好悪いと感じていたから。格好いいコトは容姿がいいことだと思っていた。そしてこればっかりは、どうにもならなかった。
 メガネをかけた辺りから僕は極端に自分の容姿を気にするようになった。「メガネザル」呼ばわりは、表面上は平気だったけれど...、ボディーブローのように心に深くダメージを与えていた。「醜い自分」という思い込みは心まで浸食していった。無理しておどけてみた。不自然だった。疲れて落ち込むばかりだった。そんな痛々しい青春の日々だったと思う。無駄なガムシャラ、空回りの思い込み。直ぐにのぼせて急降下...。自虐という傷口をえぐるようなマゾ的快楽。
 いつの頃からか、格好いいコトと格好つけるコトは、似ているけど異質なモノだと感じられてきた。無理した格好良さは汚らしい。そんなモノよりは自然な格好悪さの方がよっぽどマシだ。僕は不自然を演じていたんだなと思った。一体誰に格好つけてたんだろう。もしかしたら僕は...自分自身にいい格好してたんじゃないか、なんて感じた。
 今でもカッコつけてしまう。時々気が付く。あれあれって思う。でもあまり叱らない。気づけばまだいい方だ。「自然に...」なんて意識しない自然さが理想だよね。

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