ゴンタ3号的「心の不確定性原理」

 数日前に弁当を食べていたんです。何となく弁当を包んだ新聞紙を眺めていたら面白い記事を見つけたんです。新刊本の紹介みたいな記事。「意識の<神秘>は解明できるか」っていう難しそうな本の紹介でした。心と脳の結びつきについて書かれているらしいです。その紹介記事によると心の哲学の分野では心と脳の関係で、大きく分けて2つの説があるらしいのです。一つは心を脳や神経系の電気化学的活動だとする、きわめて科学的唯物論的な学説です。もう一つは心を脳や身体とは独立した存在だとする二元論的学説です。こちらはちょっと神秘主義的で霊魂実在説なんてのもあるらしいです。本来論理的であるべき学者さんが真面目にそんな説を唱えるのは何か違和感がありますけれどね。
 で、コリン・マッギンさん(その本を書いた偉い哲学教授さん)はそのどちらでもない説を主張しているらしいのです。「意識は<ある種>の脳組織の自然特性を通じて脳に根源をもつが、電気化学的過程では説明できない」んだそうです。よくわかりませんね。簡単に言うと心と脳は何らかの相互作用をしていけれど、その性質や関係は僕らにはハッキリとはわからないってコトらしいです。わからないっていうのがミソらしいですよ。なぜわからないのかって思いますよね。それは僕らの認識の構造がそういうことを理解するのに適していないから...なんだそうです。つまり僕らはみんな、お馬鹿さんだからってことかな?こういうことを「コグニティブ・クロージャー」(認識の限界説)っていうらしいです。書いていてよくわからないのがヨクワカル感じ...です。

http://www.isc.meiji.ac.jp/~ishikawa/data/ishiki.html

  ------------ ちょっと休憩してください -------------

 でも、この記事を読んで面白いなと思いました。そして似たような物理的原理のことを思い出しました。たしかハイゼンベルグの不確定性原理とかいうヤツです。ネットで調べてみました。
「不確定性原理とは、Heisenberg(ハイゼンベルグ)という人が発見した原理で、それは、ある粒子の運動量と位置の両方を同時に、任意の精度で 決定することは不可能だという原理である。」なんだそうです。あんまりわかりませんね。いろいろ探したんですが、どうも科学や論理に強い方は必ずしも言語的感覚にも秀でているとは限らないようで...。短くてわかりやすい説明がみつかりませんでした。量子物理学の世界を言葉だけで説明するのが、どだい無理な話なのかもしれませんがね。で、僕なりに水素原子を例にとって説明してみます。水素は陽子(ヨウコさんじゃないですよ!)一個、電子一個で構成されています。電子は陽子の周りを回っています。でも月が地球の周りを回るのとは違っています。電子は確かに陽子の周辺にいるんですが、何時何処にいるのかは不確定です。電子の存在位置は確率的な数字でしか表せません。視覚化するとぼやけた雲のようなものになります。どこかにあるけれども、何処に居てどんなスピードでどの方向に向かっているのか、ハッキリさせることは決して出来ないのです。気持ち的にスッキリしませんが、それも仕方ありませんね。

http://www.jsf.or.jp/sln/atoms_J_master/phantom/atomanimated2.gif

http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/images/cloud.gif

 それで僕は考えました。僕たちが一番気になって確かめたいモノのことを。心の奥に隠された見えない自分について、正義とか生きることの意味についてもね。すっと考えてきたけれど、やっぱりボンヤリとしか感じられないこともあるのではないか。それらは認識すること自体に限界があるのではないかとね。だからわからないと嘆くこともないし、存在しないと諦めなくてもいい。何となくあるのかなと感じることだけで十分なのかもしれません。ボンヤリとそんな風に思えたんです。

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