何でもありってこと

 hideさんか、少し懐かしい。彼の死が自殺だったのか、あるいは事故死だったのか...。いろいろな憶測が駆け巡っていたっけ。でも彼が死んだ後のマスコミの反応とかがどうにも気に入らなかったな。生きていたときには認められなかったゴッホが、死んでから認められたってことが気に入らないみたいにね。上手く説明できないけど...。Xはあまり好きではなかった。Xが解散してhideさんが何か元気なバンドやってるらしいなんて聞いても興味なかった。でもいろんなところからから流れてきた彼らの曲は結構好きだった。hide&・・・。名前さえ覚えていないけど。思い切りはしゃいで好きなことやってる感じがわかった。「格好いいな、しゃくにさわるけど...」ってへそ曲がりに思ってた。「何にもナイってこと、そりゃあ、何でもアリってこと〜♪」だったかな?そんな歌詞がなぜか頭の中をグルグルまわっていた。なんでもアリだから、なんにもナイんだよな、なんて思った。僕も目の前の何でもアリに漠然とした不安をいつも感じていた。
 お祭りの夜、ところ狭しとならぶ屋台の中、子供だましの安っぽいオモチャを売る店があり、その前に案の定、目を輝かせた子供がいた。裸電球に照らされて妖しいオーラを発している美しきまがい物達。「欲しいモノを言ってごらん、1つだけなら何でも買って上げるから」なんて大人に言われても、1つだけを選べずに「何もいらない」と答えてしまう。そんな描写は太宰だっけか。人間失格だったっけ?(しばし、逃亡)僕らは歳だけは重ねて来たけれど、そんな悲しい目をした子供を心の中に飼っている。あんなに欲しかったオモチャは、手に入れると直ぐに色褪せてしまうもの。そんな落胆を何度も重ねて、自分の「これだけ」を諦めてしまった。手に入いるまがい物なんていらない。手に入らないものが欲しい。「死」という概念には、決して色褪せないある種の美しさがあるね。それが欲しかったモノか考えなくていいという一種の解放もある。
 エンジン全開の無鉄砲で生きたギタリスト君は、そのスピードに酔い、時に恐怖も味わった筈だ。やりたいことはコレなんだと声高に叫ぶ高揚は、強い反動の可能性も含んでいる。ロケットに乗って宇宙の果てに飛んでいってしまった彼。自殺か事故かは別にして、死の結果、彼は色褪せないヒーローに祭り上げられてしまった。そんなこと彼は望んだんだろうか...。

 僕もまた、何にも手に入りはしないという諦めを受け入れつつある。永遠に思える死の輝き。死といつも対になるモノの存在。そんなことよくわからないし疲れちゃうから、「無駄な抵抗」とか「悪あがき」なんて自分を茶化しながら、「負け惜しみの滑稽な歌」で世界を埋めたいと思った。ああ今日もゴンタ3号はゴンタ3号だな。

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