チャットについて --- その存在意義と自意識との微妙な関係 ---

 こんなもの、何のために作ったと思うでしょ?ほとんどリアルタイムで会話が成立しないチャットなんてモノを。今でこそ、暇な友人がそれぞれに独り言を置いていってくれるから、体裁は整っているけれどね。
 それには訳があるんだ。オイラが自分のサイトを立ち上げるキッカケになった思い出がね。

 何もないオイラは何もない仮想空間に何かを探していた。欲しかったモノ?果たせぬ願い?隙間を埋めるガラクタ?あまりにも希薄は海は、捜し物をするにはあまり向いてない。ほとんどが自己満足なゲロと下世話なエロばかりだった。でも極たまに面白いモノに出会うことがある。そして眺めて喜ぶ。でも気が弱いから、凄いねとか、いいですねとか言えないんだ。思うだけだった。何も変わりはしなかった。

 酔っぱらって帰ってきた夜、出来心が滑ってしまった。あるサイトの無人のチャットにイタズラ書きをしてしまった。そこのチャットは注文の多いところだった。プライベートな質問は禁止だの、ハンドルネームは無意味な数字にしろだの、過度の顔文字禁止だのとハードルが高かった。致命的なのは下らない内容のない話はするなみたいなことまで書いてあって、だからいつもほとんど人がいなかった。そこのサイトのウェブマスターさんはかなりの切れ者で女性だったから敷居の高さも納得がいくが、しらふではとても入れるもんじゃない所だった。
 小心者のイタズラなんてたかが知れたもんで、書き込んだのはたわいもないツブヤキだった。「変わってしまったモノ、変わらないモノ。失ったモノ、手に入れたモノ。あの日の僕は〜〜〜〜」みたいなイタズラ書き。これも酔ってなければ書けないような痛い言葉。そしたらイキナリ話しかけられたんだ。「変わったモノは何?失ったモノは何?」慌てた。僕は焦った。実はチャットで会話するなんてパソコン通信時代のニフティーのチャット以来。その時はタイプが遅くて直ぐやめてしまったから、ほとんど初体験。必死で対応。汗だく、喉カラカラ。相手は「痛いところ」を理解してくれる優しい人だったから、すごく高揚してしまってね。1時間以上話した。そして僕の中の痛さが無意味でないことを感じた。そしてまた話したいと思った。無人なのを見計らって、痛いことを書き逃げする日々が続いた。何度かは会話が出来たけど、ほとんどは独り言でね。たやすく流れてしまう言葉だから気楽で、証拠が残らないから恥ずかしい心も書けた。物好きの書き逃げ仲間も少し出てきた。
 そんな日々が続いたある日、書き残された言葉に我が目を疑った。
「最近、ここに独り言を書く人がいるようですが・・・」
切れ者の彼女の言葉だった。やばい、怒られる...。
「消えてしまうのは勿体ないので、そういう場所を作りましょうか?」
勿体ない?モッタイナイ?もったいない??それってどういうこと?オイラの言葉になんか価値でもあるってこと?あの痛い独り言に?まあ冷静に考えれば、書き逃げ犯は複数だったから、オイラの言葉ってのには語弊があるんだが...。思い込みは激しい方なので、その気になってしまった単純なヤツである。用意されるであろう場所に置いてもらう為の文章を夢中で書いた。それが「半端もんのうた」になった。メールで送った。返事はない。やっぱりダメ?才能ないよね。なんて思っていたら閃いた。その切れ者のウェブマスターさんに迷惑かけて、彼女の名誉まで汚すようなお願いするぐらいなら自分でサイト立ち上げようってね。

 だから、だから自分のサイトにはチャットは必要だった。絶対に必要だった。CGIに手を焼きながら、一番簡単なチャットを設置した。そして思い切り独り言を書いた。
 流れてしまう言葉には、その命の儚さゆえの真実が宿ることがある。酔ったあの夜のツブヤキは、きっとゴツゴツした力に満ちていたに違いない。そしてまだ期待してるんだ。あの夜の魔法を。優しい理解者が目の前に現れてくれることをね。そして...、あの日の僕のような恥ずかしがり屋の魂の書き逃げも待っているんだ。そう、そんなあなたの書きにげをね。

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