4番目の自分

 最後のカーテンの中身を知りたがっているんですね。自分の心に正攻法で戦いを挑んで勝利したという話は聞きません。その戦いは文字通り命がけのモノになります、多分ね。そして勝ち目はありません。攻撃し問いただし白日の下にさらけ出そうとする時、本来は薄く柔らかく少し透けてさえいるカーテンは鋼鉄の要塞に変貌するでしょう。決して開かないカーテン。攻撃するほど強固になる恐ろしいカーテン。捨て身の攻撃で鋼鉄に亀裂が入る時、自分自身も崩れ去っていくのです。僕も何度かチャレンジしましたが、怖くて逃げてしまいました。結構意気地なしです。怖いのも痛いのも嫌いです。ではどうしたらいいかと問われて返す言葉がありません。今から言い訳してみますね。

 この話は僕も何度かいろいろなところで聞いたので皆さんも知っているかもしれませんが、少しの間お付き合いくださいね。
 僕という自己は1つです。いろいろな面を持っていますが、それぞれの面も僕で、全体でも僕です。この自分を四面体に例えてみますね。4つの側面を持った物体です。そこに自分の目と他人の目という違った色の光を対局した位置から当ててみます。まず見えるのは自分に見えて他人に見えない部分です。自分にしかわからない自分です。次に見えるのは自分に見えて他人にも見える部分です。これはわかりやすいですね。三番目は自分には見えないけど他人には見える部分です。これは見えないんで想像するしかありません。他人に指摘されてはじめて気付く自分。よくわからないけど何となく想像することは出来ますね。じゃあ四番目は何でしょう?自分にも見えなくて他人にも見えない部分ってことでしょうか...?誰も知らない未知なる自分。うーん、想像しにくいですね。そんなモノ、本当にあるんでしょうか...?何とも言えないところですが、僕は時たま何かの拍子にそれを感じてビックリします。他人も気付かなかっただろうし、自分も知らなかった自分。どんな時って・・・こんな文章書いてる自分...。家族も友人も知らなくて、自分でも「アンタ一体何者?」て感じです。他にも下手な楽器でガチャガチャとみんなで音出してる時にもたまに感じます。今のフレーズ何?自分で弾いたんだけど今のナニ?自分だけど自分じゃないみたい...ヘンテコだなぁ〜みたいなの。そんなことありません?

 四番目の自分はとても不思議で興味深いけれど、見ようとしても見えません。偶然見かけた時に「ふーんっ」って思うしかありません。最後のカーテンの中身とは少し違うかもしれませんが、少し似ている気もします。美しくもなく受け入れがたいカーテンの奥の自分。視線の隅に何となく感じる程度なら薄いカーテンの向こうで結構動いています。ホントは気付いて欲しいのに、見られるのを怖がっている自分を感じたら見ないフリしていてください。見なくてもわかってきます。そのうちシッポを出してきますよ。

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