3%の自由

「所詮、自分の努力で変えられるモノなんてたかがしれてるのよ。」
「そう、よくてせいぜい3%位かしらね。」
僕は激しく憤慨した。しかし何も言い返せずにいた。

 人にはもともと決められたモノが有って、どんなに努力したって
ほとんど変えことは出来ない。モノって奴をを運命と呼んでみてもいい。
汗とか根性とか努力とか、そんな言葉は決して好きではない。
しかしだ。求めるものがあって、どうしても掴みたくて、人知れず
気に食わない言葉でしか形容しようのない行為を繰り返してきた者が
いたとすれば、3%というのは、あまりにも悲しすぎる。
気に入らない。不愉快だ。不条理だ。殺生だ。
今までの行為は何だったんだ。人生は全て無駄だったっていうことか?
 だから無駄なことは止めて、仏にすがり、神に祈ればいい。
その人はそんなことが言いたかったのだろう。
その説をうち負かす哲学的、宗教的論理をその頃の僕は持ち合わせて
いなかった。さりとて精神が理屈でなくそれに反発していた。
 たかが「3%」---されど「3%」...。そいつで何が出来るか。
いいだろう。やってやろうじゃないか。いつか君に反証を突きつけて
やろうと密かに、しかし鼻息だけは荒く心に誓っていた。若かった。

 時はいつの間に早足で過ぎ去っていく。あんな決意はあっさり忘却の
彼方で霞んでしまった。悪あがきして藻掻いた気も少しするけれど、大きな
流れの中に、やはり浮いていただけのような気もする。
 自分の力ではどうにもならないモノがこの世には沢山ある。不思議な
繋がりとか、縁とでも呼べそうなモノも少なからず転がってもいた。
そして再び「3%」の文字が浮かび上がってくる。
 僕らに許された僅か「3%」の自由。それさえマトモに使えきれずにいる。

 3%で何が出来るだろう。3%で何が変えられるだろう。

 答えを出すのはまだ早い気がする。この世を卒業する時までポーズボタン
を押したままで、悪あがきしていたい。ヘラヘラしていたい。

 

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