6月30日
6月も、もう終わりですね。
僕は夏も梅雨も嫌いなので、この時期は辛いです。
この1ヶ月で結構色々な事がありました。
様々な問題を抱え、それを一つずつ整理し解決していくうちに、
自分が今やるべき事・・・・を僕は見失ってしまった気がします。
楽しい事に身を委ね、ただ生きているだけじゃ駄目なんだ・・・・!
と、最近切に思うようになりました。
それは、誰でも無い自分が許せない事だから。
目的意識を持って、自分の足で歩かねば、と思いました。
貴方は、目的を見出せていますか?
それとも、まだ探す旅の途中?
6月29日
さて、“一人ぽっち”も終章を迎えました。
最後は結構気合入れました。
皆さんの感想はどうでしょう?
もしよかったら、感想下さいね。
お待ちしています!(><
6月28日
コソボからユーゴ軍はようやく撤退完了したようで。
取りあえずはおめでとう、かねぇ?
しかし、政府はNATOの空爆を「認められる」と言ったそうだね。
そのうち核軍備も「認められる」で戦争参加も
「認められる」になるんだろーね。
あぁ頭痛ぇ。
しかしユーゴの色々な問題、それこそ宗教問題から民族問題まで、
何で日本のジャーナリズムは反応しねぇんだよ?
あんたサッチ〜やミッチ〜の方が大事だっつーの??
大体ユーゴで何人死んだか知っている国民何割あるよ?
1割いかねぇだろ。
それとも「関係無いじゃん」とか言うか?
かぁー今時の若者だねぇ。
んじゃテメェ理不尽に暴徒に襲われてみろよ。
他のヤツらが「関係ネェから良いや」って見過ごすの見て、どう思う?
自分達がそういう過ちを犯さない為にも、ちゃんと考えようぜ。な?
(今日はヤクザ口調バージョンでお送りいたしました)
6月27日
そろそろ六月も終わりです。
最近は時の流れるのが何故かゆっくりでございます。
でも振り返って見ると早いのですよね。
六月という月は、僕にとってもこのサイトにとっても、
かなり激動の月だったかと思います。
我がサイトは、段々とその奇異性・・・・つまる所の、
異端性が排除されてき、不協和音の名が嘆いております。
創世者の飽き易い性格が元で、名付けられたこの世界。
もしかしたら、そろそろ名前が変わるかもしれませぬ。
6月26日
ポスぺGETしたぜえええい!!(><
いやー長かった・・・・。これでオイラも遊び人(昔もだが)
色々な人と仲良くなりたいものだ♪
しかしネットというのはある意味恐ろしいものだね。
ヴァーチャルな世界だと頭が認識していれば良いのだが、
現実世界とリンクさせてしまう事も多々あるからなぁ。
そういえばそろそろネット初めて二年になる。
色々あった・・・・。(しみじみ)
6月25日
人間には少なからず闇と言うものがあって、
そしてそれは普段自制によって抑制されているものである。
また、なによりも人間はその闇に惹かれる。
我々は火を手に入れる事で進化した。
だが、人間にとって闇とは依然恐怖の対象である。
人間と言うのは強いものに惹かれる。
人間が安息を迎える時は闇である。
もしかしたら、我々を包む母性は闇かもしれない。
(かなりサイコ系小説の影響受けてます(笑))
6月24日
僕の思う最高の人間関係とは、言いたい事を言えて、
それを相手がきちんと深い度量で受けとめられる、というものだ。
人間が付き合う以上、互いに触れてはいけない禁忌は必ずある。
だが僕はそのタブーをあえて突き破るのが最高だと思う。
それが相手の全人格を否定する言葉であっても、
それが相手のためであれば、言うべきだと思う。
でも、当然それを言う事には勇気が必要で、
その行為の為に互いの関係は気まずくなるかもしれない。
その言葉が、その時は受け入れられなくても、
何時かは解る時がくるだろう。
互いに正直である事は、素敵な事だと僕は思う。
6月23日
献身は快楽だと誰かが言った。
そう、僕もそう思う。
自己意識をかなぐり捨てた行為は快楽だ。
だがそれが必ずしも相手にとって良い行為と呼べるだろうか?
最近僕はそう思うようになった。
相手の幸せを願うあまり、自らを犠牲にする事が、
本当に相手にとって良い事なのだろうか?
互いの事を思うあまりに、何も行動できずにいる
恋人達を僕はよく知っている。
自分の意見を言わない事は決して美徳ではない。
相手に全てを任せる事も、然りだ。
どれが、本当の優しさなのか?
じっくり考えてみたい話だ。
6月22日
小論文を書いていた人ならば解るかもしれない。
新聞を読む事のオモシロさは、漫画に劣らない。
勿論、漫画程の確固たるストーリーもオチも無い。
だが、そこには様々なドラマが用意されている。
政治欄などは読む必要は無い(かもしれない)。
むしろ、読者からの意見が載せられている部分は、
毎日読むべきだと思われる。
その各個人の意見には、その人の人生の重みがある時もあるし、
ただの率直な意見だったりもする。
そしてそこには一朝一夕には決められない問題も当然ある。
それに参加する事はさすがに気がひけるかもしれない。
だが、自分が気になった内容を、周りの知人友人と、
話し合ってみてはどうだろうか。
知や経験やスタンス、説得力はこういう所から培うのだ。
6月21日
最近「死」を軽んじている人が多いと思うんです。
なんというか、「劇の演出効果」に使っていう気がするんです。
ぽっぽやの小説を読みましたか?
そこには身近で遠い死の存在が巧みに描かれています。
でも、それは人間にとって未だ“死”が重い存在である、
という事の裏返しでもあると思うんですね。
生きている者の一番の謎は、死でしょう。
現在は、その死の存在が意識の中で希薄である、と言います。
身近で遠い存在の、死。
一つだけ解っている事は、死んだ人間は戻ってこないという事ですね。
6月20日
皆様元気に生きておりますでしょうか。
不肖私、ただ日々を徒然なるままに生きておるばかりで、
何の意識をも持たずに悲しい人生を歩んでおりまする。
目前ではない目標と言うものはただ漠然としているのみで、
力が入らないのはまぁ仕方ない事なのでしょうかね。
こんな事ではいけないと頭では解っておりまするが、
どうもやる気にはならないのでありまする。
むぅ、意味不明でしかも思考的アプローチが無い。
駄目じゃん(笑)
6月19日
伝わらない言葉がある。
伝わらない気持ちがある。
伝わらない思いがある。
焦燥する僕。
解ってくれなんて言えやしない。
何故ってそれを止めているのは僕だから。
6月18日
言葉には魂が宿ると言うが、いくら気持ちがこもっていても、
普段この魂を悪用&乱用している者の言葉の魂は、
所詮腐っていくものだろうか。
だが伝えたい事を言葉にできる事は良い事だと僕は思う。
それに過分な脚色を付けるのがマズイのだろうか。
うむ、まずそうだね、いかにも。
6月17日
人間は共存していく動物である。
共に生きる為には何処かしら依存していかなければならない。
その為の感謝は必要である。
自分は自ら働いて自ら養っている。と言って、
それが依存しないで生きていると言うだろうか?
答えは、Noであろう。
他と共存しあうのは当然である。
その事に遠慮は必要無い。
だが、最低限のマナーも守れないものは、
やがて孤立して飢えていくだけだろう。
隣人はできるだけ愛せよ。
6月16日
臓器移植の問題から何ヶ月か経ち、
この前3人目の脳死判定からの移植があった。
この、脳死を巡るデットヒート・・・・もとい、脳死判定の問題は、
結構騒がれたはずだが、なんだこの静寂は。
サッチ〜問題に取られているではないか。
脳死が人の死だと法律で国が定めるのはどうだろうか。
この問題は安易に受け流して良い問題ではないはずだ。
臓器問題は金になる。アメリカでの問題が頭をもたげる。
何をもって人の死とするか。
科学的な問題と、宗教的な問題が表立っているが、
それを決めるのは患者である本人、そして家族遺族ではないか。
死を安易に扱ってはいけない。
生の為に、死への扱いが損なわれる事は
何か物悲しいものがあるように思われる。
6月15日
人の微笑みが自分の活力になる日々が続いている。
自分の足を奮い立たせてくれるのはそれらの人々のおかげである。
最近、他者への感謝が尽きない。
それは、きっと良い事なのだろう。
6月14日
僕の言いたい事は、全てこのサイトで言いました。
だから後悔は・・・・今のところ、無いです。
長い、長い間お世話になりました。
夢に向かって、頑張って下さい。
6月13日
昔作った曲を今、聞いているんですが、
どれも懐かしくてツイツイ聞き入ってます。
人間が歩んできた歴史って、あまり残らないじゃないですか。
でも、パソコンがあれば残るんですよね。
容量上の問題やアクシデントで止む無く消える事もありますが、
僕は自分の作った作品・・・・大事にしたいな、と思いました。
僕の性格上、すぐ作ったものを捨てる傾向にあるんですが、
MIDIを聞いていて反省しました。
ぅあああ・・・・三国志小説・・・・後悔すれど時既に遅し・・・・。
6月12日
今日、「催眠」っていう映画を見に行きました。
いやぁ本当は「8mm」見るつもりだったんだけども。
僕としては、ちょっとガッカリ、かな。
あんまりグロく無かったから。
いや、映像的には充分グロいんだけどね。
その、精神的にこない・・・・というか。
ストーリーも読め読めだったし。
精神的にクるもの・・・・なかなか難しいんですかね。
というか・・・・疑心暗鬼になるような映画はストップされて
しまうのでしょうかね。ふぅむ。
6月11日
自らが歩まねばならぬ道を他人に委ねる事は無い。
むしろそれを誰かに委ねてしまっては自らに責任を課せず、
貴方は人としての何かを欠如したままに自我形成してしまう。
自らが選んだ道ならば責任を持って進むべし。
その中途に誰が傷つこうが誰が犠牲になろうが
それが生きると言う事だから。
6月10日
人よ、悲しむ事は無い。
貴方が悲しむその事象は、貴方が許せぬ事なのだ。
つまり、貴方に自我が無ければ全ての善悪は受け入れられる。
それが自分を傷つけない一つの方法であり、
貴方は泣く事も無いだろう。
その結果喜怒哀楽が欠如しようと、
それが貴方の望んだ道。
悲しまぬ変わりに喜びも無い。
それが、貴方の望んだ道。
6月9日
人が生きて行く以上犠牲が生まれる事は当然である。
ただそこに、率先して犠牲を生むか生まないかの違いは出る。
歴史上の大人物を見ると、犠牲が生まれる事を厭わない・・・・
つまり、それを仕方のない事だと悟った人は、大成している気がする。
むしろ、力と力がぶつかりあった時代だから、兵の存在を
コマとして使わなければやって行けない訳だ。
やはり、時の権力を握る者はそれだけ犠牲にする数は多い。
だが、芸術面ではどうだろう。
勿論、栄光の陰には誰かの衰退があるわけだが、
芸術とは、後の世まで愛される事が可能なものではないか。
他者を蹴落とす事が評価される社会よりも、
自らの才能を評価される社会の方が僕は好きだ。
6月8日
むぅ、最近本当に疲れる。
そういえば小渕首相、支持が不支持を大きく上回ったってね。
はぁ〜。
アメリカのYesManになってる人間を支持、ねぇ。
やっぱり日本人って卑屈な人間が好きなのかね。
あー駄目だ、最近毒舌気味(苦笑)
6月7日
あぁー!!人間って何て面倒な生き物だ!!!
どうも最近馬鹿みたいな事で悩んでいるな。
ストレスたまり気味!!
皆、何でストレス発散してるかな?
オイラはカラオケで吼えてくるかんじ!
でも、最近行ってないんだよね♪
・・・・あぁ壊れてる・・・・。(涙)
6月6日
ぬぅ、日曜日が無為に過ぎている・・・・。
だがそれは明日から始まる1週間への休養だと思おう。
最近疲れが溜まって仕方が無い。
別に張り詰めている気は無いが・・・・。
バラバラな精神が肉体を蝕んでいるのだろうか。
最近は良く考え良く悩む。良いことだ。
6月5日
ふぅー、今日は疲れたっす。
人間ってやはり経験しなきゃ解らない事って
あるんだな、と実感しましたわ。
世の中にゃあ馬鹿みたいな悪意が潜んでる。
そしてそんな馬鹿な事に深く傷を負わされることがある。
平和ボケした日本に、何を言っても無駄かもしれないが、
何かが起きた後では遅すぎる。
自衛手段は会得しておいた方が良い。
6月4日
下に続き、僕の言いたい事を言うと、
何らかの職に就けばストレスを感じるのは当然であり、
その度に嫌になって逃げ出しては、成長しないだろうと思う。
最近、よく「責任」って言葉の重さを感じる事がある。
自分の行動に責任を持つなんて事は、当然なんだろうけど、
一体どれだけの人がそれを意識しているか、果たせているか。
職に就く時にも、色々な迷惑がかかるものだ。
職を紹介してもらったり、相手に期待されたり。
自分がその職を辞めたときに生じる不都合を、
そういう人達は考えた事はあるだろうか。
自分が一人で生きている訳ではないのは自明である。
職を転々とする人が、職を探している時に、
誰に食わせてもらっているのか、よく考えて欲しいものだ。
6月3日
「自分のやりたい事をする」というのと、
「自分のやりたくない事はしたくない」というのは段違いである。
今日の新聞に、自分の夢の為に必死に努力している人と、
自分が自堕落な生活をしたい為にアルバイト感覚で
仕事している人の事が載っていた。
夢に進む事は、とても不安な事である。そして努力も必要だ。
自分がやりたくない事も、やらなければいけない時があるだろう。
自分が「我慢」をしたくない為に職を転々としてる人には、
そういう努力も不安も無いだろう。
どうも、この両者を一緒にする人がいて腹立たしい。
しかし、後者のような考えを持つ人間が大人になり
子を持った時、どういう教育をするのかゾッとする。
6月2日
はぁ、やっと普通の日記が書ける。
でもそれじゃ他の日記と変わらないじゃん、とか思った。
そもそも人間は特異な物を評価するてらいがある。
画期的であれば良いと言う問題ではないだろう。
真に評価すべきなのはその中身だ。
そもそも日記とは雑文的なものであり、
一本筋が通ってないと読む価値は然程ないのだ。
やはり、僕は思考的アプローチを続ける所存である。
6月1日
はい、流石にネタの限界を感じ、徒然日記と名前が変わりました。
六月からはもっと家庭的な事も書きたいっす。
勿論、これからも思考アプローチは続けます。
普通の日記みたいなものが書きたくなるのよね(^^;;
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