4月30日
現代文の時間に、全ての人間が他人を一個人の人間だと認識できれば、
「イジメ」なんて起きないはずだ、という趣旨の文を読みました。
個人的経験と知識から、見解を申しますと、的外れかな、と。
「イジメ」を行うのに別にたいした理由なんて無いですよ。
加害者の一方的な機嫌に左右されるものでしょう。
相手にとって自分が「無害」であり「弱者」であれば、
充分攻撃対象にされるもんです。そこに尊敬なんてありません。
それに、イジメをする人間に「相手の立場になって」と言ったって、
「じゃあ何でストレス解消すりゃ良いんすか?」って笑って言われる世の中です。
だからって、諦めて教育を放棄するのも、問題ですけどね。
4月29日
「ドラえもん」が貴方に何か道具を出してくれるとしたら、
何を出してほしいですか?という様な趣旨の小論文をやりました。
僕はそれに何も出してもらわない、という風に書き、
その理由を書かせてもらいました。
自分の願望が実現されるような道具の存在を、皆さんはどう思いますか?
僕は自己成長を遮る要因になるような気がしますが。
自分の夢は自分で掴んでこそ意義がある!
なんて立派な事を言えるのは小論文の中だけかな。(笑)
4月28日
しかしあれほど反対されていたにも関わらず決定するとは。
先週県議会選挙がありましたが、何も考えずに投票するから、
ああいう馬鹿な議員達が選ばれ、平気で賛成するんでしょうね。
ガイドラインに対しての街の関心は、かなり低いようです。
「別に気にしていない」と答えた人間が48%くらい居たそうで、
はぁ、日本も終わっているな、とつくづく思います。
確かに日本に住んでいても、政治は何処か遠い所で行われている
という感はぬぐえませんが、それでも自分の国なんですから。
自分の国にこれほどまでに無関心な国民も珍しいですよねぇ・・・・。
(サッカーとかで勝つと、嬉しがるくせに・・・・)
4月27日
いやぁ、もう終わりですね、日本。
ガイドラインが本格的に決定しそうです。
米国の為に、我々は死ななければならないかもしれない。
こんなふざけた事があるでしょうか。
そもそも、日本は非軍事国であり軍力を持たない国のはずです。
それが、防衛力なら構わない、という事に何時の間にかなり、
そして今度は米国と共に明らかな戦闘行為をするそうです。
世界から、武器、戦争が無くなる事は無さそうです。
4月26日
サイコモノの小説の概案を練りだしているのですが、
個性的な人物を作り出せば作り出すほど、その精神の崩壊のサマは
なかなか書きにくいものです。普通の理由じゃあ、凹みませんもの。
精神が崩壊するキッカケなんて個人によって違うんでしょうが、
そもそも精神崩壊というのはどういう事なんでしょうかね。
何か、耐えられない事が起きた時、その事実を受け入れられずに、
自分を心の内に逃がすのでしょうかね。
はぁ〜しかし誰か読むのだろうか・・・・。
結構エグイんですがね・・・・自主規制するかな。ふふふ。
4月25日
予備校に一週間通ってみて解った事は、授業を聞いているだけで
まぁ大抵の事が理解できるものなんだ、と言う事でした。
つまり、勉強しようとする意思がなければどんな優秀な講義も
馬の耳に念仏で、自分にとってプラスにはならないというわけです。
こんな事はきっと誰もが知っているし、僕もよく言われた事でした。
ただ、勉強するだけの為のこの一年、当然意欲は前年の比ではありません。
予習復習をきちんとし、授業を真面目に受けた後の自分の力が、
いったいどうなるのか、今から楽しみなような、怖いような気がします。
4月24日
心の歪みを修復するには長い時間を必要とします。
心に歪みを作るには短い時間で充分です。
貴方の歪みはどれくらい歪んでいますか?
貴方の歪みを修正してくれる人はいますか?
何が正しいか、何が悪か。
心が歪むほど解らなくなっていくものです。
心に、ゆとりを。
自分に、幸せを。
4月23日
現代は合理主義の世界だから、リアリズムが尊ばれる、という説があります。
文章表現でも、比喩表現は稚拙であり、写実表現に価値がある、と。
でも僕はそう思いません。ある事象に対し、真実の言葉を一つ選ぶより
(大体そんな事は不可能なんですが)、その事象を他の、より解りやすい
例で示せるほうが、『理解力がある』といえると思うのです。
事実、「君が好きだよ」と言って、「どれくらい?」と聞かれた時に、
「元来好きだという感情には2種類あって、親や友人に寄せる好意、
恋人に寄せる愛情というのがあるんだが、勿論君への好きとは愛情だ。
そもそも恋人に寄せる愛情とは男と女の関係による事情も加わり、
そう、言葉は悪いが君を抱きたいと思うほどの強い愛情なんだ(云々)。」
と言われて喜ぶ人がいるでしょうか。(うーん居るかもしれない)
それよりも「海より深く」とか「君に会えない日は憂鬱になるくらい」とか
「心から」とか「気がつくと何時も君の事考えてる」とか、まぁ色々言えますね。
僕の敬愛する村上春樹は「春の熊くらい」とレベルの違う比喩を使ってます。
村上春樹の比喩は他の作家とはまるで違った、むしろ独創的な比喩なんです。
物事を精確に細分の狂いも無く表現するよりも、誰もが解り、
容易にその状況を把握でき、なおかつ頬が緩むような表現の方が、
僕には価値がある、レベルの高い表現だと思います。
4月22日
いやぁ、かましてくれましたね米国。
銃乱発ですか。世も末という事ですか。アイタタタ。
イジメをうけた相手にリベンジ、という動機らしいですが・・・・。
しかしこれだけ「イジメ」が問題化しているにも関わらず、
それに対する打開策が何時までも作られないというのも不思議な話です。
それは「イジメ」の問題が決して画一ではないという事も原因でしょうね。
勿論、教師が全てをマニュアル通りにやったらそれはそれで恐ろしいですが。
僕自身は幸運にも「イジメ」らしいイジメは受けませんでした。
ただ、小学校の頃は常にその存在に怯え、必死に身を隠していました。
僕の無意味な明るさの裏には、そういう時代の影響があったんですね。
「イジメ」を受ける事は本当に恐ろしい事だと思います。
イジメられ続けていると、相手の言葉が刃のように自分の心に食い込み、
本当に自分が無価値で無意味な存在に思えてしまうんですよね。
でも、そんな事は無い。貴方は誰かに必要とされている。
貴方が誰かを必要としている様に。
4月21日
日本人は個より集団を重んじると良く言われる。
逆に欧米では集団より個を強く重んじているようだ。
どっちが良いか、これは人によりけりだろう。
だが、僕は集団の中に居るのが好きだ。
集団はよく一人や二人では感じられない事を与えてくれる。
それは教訓だったり喜びだったりするのだが、
皆の意思が一つになった時の一体感は、何とも言えず良いものだ。
だが今の日本で問題となっているのは、その集団の傲慢さだろう。
互いに馴れ合い、かばい合い、他を排除する。
これも一つの集団ではあるのだが、僕の求める集団ではない。
集団の中に居ても自分の考えを持ち、他もそれを受け入れつつも
また自分の意見を言い、互いに研磨しあい成長していく。
これが僕の理想とする、というか定義する集団だ。
そんなの不可能だ、と誰かは言うかもしれない。
だが僕は可能だと言える。僕の高校生活がそれを可能だと言わせるのだ。
4月20日
小論文指導を受けているのだが、どうも納得の出来ない事が多い。
我々は一個人として小論文を書くのであり、そこで書かれる事は
全て自分の考えである。だから“思います”という書き方は
極力使わないのが良い、と言うのだ。
だが、文章を効果的に書く場合に、そう書いたり、体言止めで終わったり、
わざと単語を並列使用したりする事だってある。
!や?などの感嘆符の使用は“幼稚”なので使うな、と言う。
僕なんかは!はともかく、?を使うのはメリハリが出てくると思う。
思えば僕は結構疑問形にして相手に問い掛ける事がある。
それは記号の持つイメージを利用しようとする為だ。
だが、それは正しくないのだろうか?
自分に自信が無いからだろうか?
“?”により付与してくるイメージを何故捨てるのか?
上の文、終わりが“。”であれば、また違ったイメージを持つだろう。
本を読んだ事の無い人間なんていない。
読んだ本によって使う言葉が変わってくるのもこの為だ。
語尾につく記号により、相手にどう受け取られるか、
インターネットを楽しむ人達には、解ってもらえるだろう。(笑)←違
4月19日
選挙カーが口やかましく「他とは違います、他では駄目です!」と
言っているが、何がどう駄目なのか、また、では自分はどうするのか、
明確にそういった事を訴えている人間を見かけた事は無い。
そういう自分の政治姿勢、思想を言ってくれなければ、
こっちとしても選びにくいじゃないか、と思う。
勿論、それが口約というだけで終わってしまうかもしれないが、
ただ漠然と他人をけなし、自分だけが選ばれようとしている人間を
選ぶよりは、良いだろうと思う。
消費税3%を無くすと口約した議員達がその事を忘れ、
安楽な地位で暴利を貪っている日本社会であるから、
政治家に期待する事自体愚かな事なのかもしれないが、
少しでもやる気のある人間を選びたいものだ。
4月18日
今、国会で「売春禁止法」が女性議員の間で進められているようだけれど、
まぁ問題は外国行って買う人達だろうなと思う。
高校生が身体売るのは欲しいものがあるってのが大半だろうし、
死活問題には然程ならないはずだ。(彼女達にとってはそうかもしらんが)
ただ、発展途上国でまさに生きる為に身体を売る、または
売らせる人達にとってそれが歯止めになるのか。
国外で買っても当然罰は与えられるようになるという。
人が人を買う時代、良識有る結果に期待したい。
4月17日
むー書く事が無くなってきたぞぃ。
友人が罪を犯した時に、その罪を償わせる事が友?
それとも、罪を隠し、見過ごす事が友?
まぁその罪の度合いにもよるけどねぇ・・・・。
今日「スリーパー」って映画やってたけれど、
まぁ俺だったら同じ事しますよ。うん。
きっと彼らは本当にあれを境に、何かが死んだんだと思う。
それに対し、復讐したいという気持ちは、当然だろうなと思う。
そんな事して、空しいとか客観的に見れば思うかもしれないが、
もし自分が・・・・と考えれば、止める権利なんて無いはずだ。
そうなる事を止められなかった時点で、
復讐を止める権利なんて無いだろう。
4月16日
ちと今日気になった。あまりにも自分勝手な人が多すぎる!!
人が真面目に話してる時に、何で関係無い事、喋れるの?
その人は本当に真面目に参加者募ってるのに、なんで誰も
やろうとしないのさ!可哀想じゃん!
遊びに来てるのは自分の意思だけどさ、企画作ってくれるんだから、
それに参加してあげようとか思わないわけ?
・・・・なんか、真面目にやってる人の横で、
無関心、無遠慮に冗談かませる神経が解らん。
それは「暗くなるから」とかいう理由じゃ無いぞ?
「場をわきまえろタコ」って感じだ。全くもう。
オジチャン悲しいよ・・・・彼は健気に頑張ってるのに・・・・。
4月15日
食べ物は大事にする、というのは当然の事だろう。
だがレストランの食べ残しは、やはり多いらしい。
僕なんかは子供の頃、痩せの大食いと言うヤツで、
4皿以上頼んでよくそれを平らげて見せたのだが、
当然図に乗りすぎて食べられなかった時もあった。
その時は何時でも重い罪悪感が残ったものだ。
吐きそうになる、お腹を壊しそうになるのも我慢して、
取り合えず食べきる。それが使命、義務だと思っている。
豊食なのは結構だが、何故食べていられるのか。
そういう事を忘れてはいけないだろうと思う。
4月14日
自分のやりたい事をやっている人は、輝いて見えるものですね。
自分の趣味が仕事になるというのはそうそうある事ではないけれど、
そういう人達は本当に楽しそうに、頑張って仕事をしています。
でも、望んだ職業では無いにせよ、そこにやりがいを見出すのも、
大切な事なんじゃないかと思います。
4月13日
ヤバイっすよ浪人生活って。(笑)
なんか自堕落に生活できちまう。いかんてそりゃあ・・・・。
こう、もっと切り詰めた精神活動の中で、頬が痩せ細り、
時々突発的に笑い出したりとか・・・・しねぇか、俺の性格上。
まぁそれができてれば浪人なんかしてねぇもんなぁ。
あ、ガラが悪くなっている!
というわけで、前途多難なANT君でした。(とほほ)
4月11〜12日
人間は自由を求めるが、結局そんなものは心持ち次第さ、
と冷めた青年は考えた。
青年は一般的に何不自由の無い生活の中で、酷く現状に不満を持っていた。
それがどれだけ幸福な事だろうと、青年は不満を持っていた。
目の前に地図を広げられ、君はここの何処にでも行って良いのだよ、
と言われても、結局その為には通行手段を考えなければならなかったし、
帰宅時間を考えなければならなかったし、道を下見に行かなければならなかった。
そして結局青年は諦めるのだ。なんだ、僕には自由は無いじゃないか、と。
ところが青年が大人に成った時、いきなり多くの事が許されるようになった。
だが青年は大人に成っていた為、働かなければならなかった。
そして大人に成った彼は夫に成っていた為、家族と共に暮らしていた。
結局、大人に成った事で彼の行動範囲は広がったが、
規制される事は相変わらず多かった。
大人に成った青年は、それでも数少ない自由を楽しめる様になっていた。
青年は大人に成っていたから。
4月10日
恥ずかしい話、僕は今日までアイデンティティの意味を取り違えていた。
僕はアイデンティティの意味は「存在意義」だと思っていた。
それも間違いではないのだが、本来は「帰属意識」なのだという。
「自分のアイデンティティを探すんだ」という台詞をよく聞くが、
「存在意義を探すんだ」と「自分って何なのかを探すんだ」では、
えらい違いである。存在意義と言う言葉は好きだ。
「生きる」事を前提にし、それから自分に出来る事、自分にしか
出来ない事を模索して行く、という感じでポジティブだから。
「自分って何なのだろう。」
誰も居ない闇の深海を下に下に泳いでいる感じがする。
「自分は自分さ、どうしようもない。」
そう思ってしまう僕は、哲学には向かないかな。
4月9日
人間が生きる理由は何だろうか。
A君の場合。
「まだまだやりたい事が沢山ある。」
そう、それは社会的な意義や倫理観ではない。
自己満足に近い意義だ。
100年生きたって世界に何も残せない事は多い。
世界に貢献するつもりも無い人だっているだろう。
「生まれたからには何か残したい」という人もいるが、
A君の場合は「生まれたからには“生きたい”じゃないか」
という事なのだ。置かれた現状、それは人によってまちまちだが、
規制された枠の中で模索して歩こうというのも、一つの人生なのだ。
4月8日
都知事選挙がどうだとか、別にんなもんどうでも良いよ、
と思ってしまいがちだがそれで黙っていては政治は腐敗するばかりだ。
20以上の人間には投票は義務であり、政治参加は義務である。
取り合えず自分の意思は表示しなければならない。
皆投票に行こう!誰も彼もが馬鹿に見えたら白紙を投票するべし!
4月7日
しかし一体何時までアメリカ天下が続くのだろうか。
平和の為という大義名分をふりかざし、膨れ上がった
軍事費を消費し死の商人達を儲けさせる。
その循環により景気を向上させるというのは、
昔日本がお世話になった朝鮮戦争でよく解る。
戦争は第二次世界大戦で終わった様に思われる。
だが実際には各地で民族紛争やら宗教戦争やら、
ありとあらゆる抗争が絶えない。
平和維持軍というよりも、経済維持軍と呼ぶべきか。
日本が軍事参戦するのも、遠い日では無い様で恐ろしい。
4月6日
「面白い」っていう言葉の意味が、鈴木そ○子のせいで
「可笑しい」から「恐ろしい」になったりしたら面白い。
(今日はネタが無かったらしいです)
4月5日
世の中簡単な方へ方へと行くキライがありますね。
でも難しい事って実は大事な事が多いと思うんです。
人から恨まれる事、人を傷つける事、嫌われる事、
どれも簡単です。誰も好んでしないだろうけど。
人から尊敬される事、人に優しくする事、好かれる事。
どれも難しいけど、大事な事ですよね。
4月4日
人を深く感動させるにはどうすれば良いか、考えてみた。
結論:術無し。その時のその相手の人の心持ちによって、
言葉がすっと心に入る時もあれば、通り抜ける事もあるから。
同じ風景だって心情によって随分と印象は変わる。
だからやっぱり人に一目おいて欲しければ、日々の行動から
きちんと誠実に生きなければいけないんだろうな、と思った。
4月3日
人間が互いの心を読めるようになったらどうなるだろう。
そんな事を考えてみました。そこに嘘は存在しません。
そうすると互いの事が信じられるようになるでしょうか?
ただこの世界はとても怖いですよね。例えば校長が訓示を述べる時、
何百という生徒から「早く終われよ」というメッセージが出る。
傷つきやすい人にはこの世界は生き難いかもしれません。
でも、その世界で一番評価されるのってイイヒトだと思うんですよね。
4月2日
ゴミ分別は消費者の義務であります。当然な事です。
今日新聞の投書を見たら、会社に対して提案をしている人が居ました。
その人は例のダイオキシンで有名になってしまった地区の人なんですが、
そこでは分別に細心の注意を払っているそうです。
それでその人は、売られている容器とかをもっと
リサイクルできるものを作って欲しい、と言うのですね。
確かに現在低コストの為にビニール製やプラスチック製の容器が、
店頭に多く並んでいます。その中でリサイクルできるものは
極わずかですよね。
昔は豆腐とかは金ダライ持ってもらいに行きましたよね。
肉だって包装はごく少ない。保存とかの問題もあるのでしょうが、
容器がリサイクルできる商品、というのは良いなァ、と思います。
4月1日
今日はエイプリルフールですね。嘘をついても良い日だそうです。
そもそも嘘って何なのでしょうね。現実と違ったら全て嘘ですか?
それともあからさまに悪意があった言葉は嘘ですか?
人間の定義なんてそれぞれで、アバウトなものですよね。
バレなければ嘘では無いと思っている人もいれば、
多少の脚色やアレンジも構わないという人もいますし、
真面目に事実のみを話す人もいます。
人間は虚栄心の為に嘘を言ったり、自己防衛の為に嘘を言ったりします。
嘘をつく事が日常となってしまって、気付かないうちに嘘を吐く。
そうなったらもう止まりません。
人に信用されたいと思ったら、嘘はホドホドにしましょうね・・・・。
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