Old Diary / 1999.3

3月31日

詩の言葉は少ない方が良いかな、と思ったりする。
言葉は少なければ少ない程、自分で膨らませ組み合わせられるからだ。
自分の意図した解釈とは全く違った解釈が出来る。
それが詩の良い所だと思う。
それは想像力の飛躍、想像力の鍛錬、想像する遊び。
詩は人に色々なものを与えてくれる。

3月30日

今日の朝日新聞に、「戦争の事を教えて下さい」という投書があった。
書いていたのは20の女性で、僕もこの意見に賛成である。
とにかく僕らは戦争の事を知らない。ユーゴスラビアで戦争が
起きているが、それがどういう事か解らない為、ああそう、
と思うだけである。自衛隊が何処に行こうが自分は行かないから、
結局は無関心である。戦争の悲惨さを知らないから戦争ゴッコで楽しめる。
日本人が過去にやった事、それは隠蔽したい事かもしれない。
でも、勇気を出して伝えなければ、僕らは同じ事を繰り返しかねないだろう。

3月29日

今日は詩人になってみよう。
昼間に東京を徘徊してみた。
一定の速度で・・・・それも結構早く・・・・人が歩いている。
それは何か止まってはいけない歯車を僕に連想させた。
彼らが立ち止まったら、きっと何処かで何かが止まるんだろう。
汗をかいていても、重い荷物に肩を痛めても・・・・
彼らは歩き続けていた。砂漠の中を行軍する兵士の様に。
彼らの前には蜃気楼の様に魅惑的な建物が乱立していた。
なのにその魅力に憑かれ、リタイアする者は極わずかだ。
皆解っているんだろう、自分が止まれば何かが止まってしまうって。
僕らは解りもしない未来を、ただ不安だからって先に進む。
何も考えずに、ただ漠然と。
僕らは未来に背中を押され、そして過去って海に落とされるんだ。

3月28日

「言葉」というものはとても凄いものだと思います。
それ一つで人間を一喜一憂させてしまう。
「言葉」が足りなければ僕達はその足りない分を充足させます。
自分なりの解釈で、自分なりの想像力で。
「言葉」が整頓され、あふれんばかりに的確に使用されていれば、
僕達はその状況、世界を用意に思い浮かべる事が出来ます。
だからこそ、ちょっとした言葉で人を傷つけてしまったり、
口に出しても思いが伝わらない事があるんでしょう。
初めに「心」ありき。それを形にするのに「言葉」が生まれた。
でも心を表わすはずの言葉が、今はその意義を失いつつある。
言葉は自分を映します。大事にして下さいね。

3月27日

忙しい日常で、たまには「ホッ」と一息を吐く事も大事です。
今日はそんな日にしちゃお。
「ホッ」

3月26日

晴耕雨読の日々、というのは今の僕には然程魅力的ではない。
無論年を取ってくるにつれて魅力的になって行くのだろうとは思うが。
何しろやりたい事が山ほどある。だが現実、その数%もできていない。
それは自分が怠けていたり、天候によったり、環境によったりという、
色々な状況下の元で、目に見えない規制という檻が作られるからだ。
だが色々心がけたり、努力したりすれば、やりたい事が出来てくる。
でもそれが出来るにつれてやりたい事はもっと増えて行くものだ。
昔僕はやりたい事だけやって生きてきたと思っていた。
でももっと色々な事ができたんじゃないかと今は思う。
反省っていう言葉は結構好きだ。前向きな言葉だと僕は思う。

3月25日

兄の友達が漫画本を持ってきた。「漂流教室」というものだ。
実はこの本に興味があった。何故だかは忘れたが、とりあえず読んだ。
エグイ。だが僕は一日で全部読みきった。それだけのパワーがこの本にはある。
人間の狂気の部分がありありと現れている。主役が子供達なだけに、
なおそれらは暗く重く圧し掛かる。だが現実問題だ。頭が痛い。
読んだ事の無い人達にはさっぱりだろう。
だから、読む事をすすめる。
恋愛モノの漫画も良いが、こういう本も読んで見るのも良いだろう。

3月24日

最近は時間の使い方がとても下手だ。
ありあまる時間をどのように使おうかと考えてしまう程、
一見膨大な時間がある。だがそれもボーっと過ごすとすぐ消える。
有意義な時間と無意義な時間というのは確かに存在するだろう。
できるだけ有意義な時間を過ごし、有意義な人生を送りたいものだ。

3月23日

高校時代の同級生が、自分の夢の為に確実に歩んでいます。
一人暮らしの部屋を自分で見つけたり、バイトの口を探していたり。
地方にバラバラに散ってしまうけど、何時でも会えるよな。
そう言って僕らは互いに硬い握手を交わして別れました。
それは気休めの言葉かもしれないけれど、僕らは皆そう信じています。
高校生活で何を得たか。
「友達」と言える僕はきっと幸せ者なのでしょう。

3月22日

「愛されたいと願う事を諦めてしまった」
どこかのVocalがそう悲しそうに歌う。本当にそうだろうか。
諦められるものなのだろうか。それは本当の愛だろうか。
いや、諦めてあげる事が真実の愛なのだろうか。
だとしたら、そこに私利私欲、利害被害の愛は無い。
でもそれが真実だったとしたら、僕は虚像の愛を求める。

3月21日

世界って本当に広いとつくづく思う。
それは、現実世界での話じゃない。
誰かと親しくなったとき、その人の今までの人生を聞くとそう思う。
そこには、確かに僕の知らない世界が広がっているのだ。
勿論、その人のスタンスによって見える世界は大分変わってくる。
相手が自分と大きく異なったスタンスであれば、それもそれで面白い。
同じような環境で育った場合には、それもまた話が楽しくなる。
自分の知らない世界。そんなのはどこにだって広がっている。
人生経験が豊かなだけが世界を知っている事にはならないんだと思った。

3月20日

「しあわせ」って自分が決めるんだよね、結局。
どんな不幸のどん底でも幸せは見つけられる。
逆にどんな幸福な状態でも気づかない時がある。
「生きているだけで幸せじゃないか。」
本当は、そうなんだろうね。

3月19日

今日は愚痴になります。というかなりました。
読まない方が有益な時間を過ごせるでしょう。
何故僕は大学に行くのだろう。大学受験を志した人なら、
一度はこう思った事があるだろう。その定義を探さなければ、
自分が勉強する意味が見つからずに、奮闘できないと感じるのだ。
僕は来年も大学受験をするつもりなのだが、一年目は不思議と
そんな不安は無かった。というのも、選択する幅が狭い為に
行く大学(正確には行ける大学)がかなり少なかったのだ。
ところが2年目だと勉強しかしないと言う事で、志望校のレベルを
急激に上げなきゃならんと言われる。そこから葛藤が始まった。
勉強する事に、純粋に意義が見出せなくなっだ。
「良い大学に入る」その意義は解る。でもだったら、
今まで半年間も(してないが)勉強してきたのは何だったのだ?
その勉強は「とりあえず大学入っておきなさい」程度のものだったのか?
漠然たる矛盾を感じる。僕の将来は本当に曖昧だ。
とても広い世界を提示されているのにも関わらず、
僕にできる事といったらその中から一欠片を選ぶ事なんだ。
それは荒涼とした砂漠に一人残されて、「さあ君は自由だ」
と言われているのと同じ事。被害妄想かもしれないが、ね。
勉強する理由?それは大学に入る為さ。大学に入らなきゃあ
僕の希望する・・・・夢であると言うべきか・・・・職業には就けない。
だがそれに良い大学である必要が何処にある?
いや・・・・良い大学ならば就職率が上がるのは解っている。
僕の希望する職業は1桁台の就職率だって事も解っている。
だがならば何故今ごろそんな事を言う?
僕がそのまま大学に行っていればどうなっていた?
酷い無責任で曖昧で身勝手な話しだ。
今日読んでくれた人、ごめんなさい。

3月18日

自虐的になって、自己破壊を望んだ人の話が書いてある小説を読みました。
その内容は二流作家の書くそれでしか無いのですが、
裏筋に流れる思考・・・・というか葛藤は面白いと思いました。
それは、「自己破壊」なんてどうやったってできないだ、
という事です。つまり、「自己破壊」を自分が望んでいる以上、
自分が望んだ事=願望であるから、自己破壊にはならないのです。
言うならば「自己満足」になってしまうのですね。
ですが、そんな事を言い出せばきりがありません。
それでは「優しさ」や「愛」も「自己満足」になってしまう。
理論的にはそうかも知れません。でも、それだけじゃないはずです。
人間の感情の中で、自分と言うものを基軸にしない考えは無いかもしれません。
だけどだからって自分だけを大切にすれば良いとは言えないと思います。
自分と他人・・・・周りまわって利害が自分の所に戻ってくるのなら、
少しでも人に喜ばれる様な、人のためになる事をしたいものです。

3月17日

他人を喜ばせる事が自分の喜びになる、という場合があります。
その場合、相手にはその心が伝わりにくいのですが、
その基本となるのは他人の為になりたいという気持ちなのだと思います。
喜んでもらえる姿を見るのはこっちも嬉しくなりますよね。
そういう心って人間にとってかなり大事だと思うんです。

3月16日

日常と言うものは恐ろしいものだと思います。
そもそも「常識」と言うのは何から決まるのでしょうか。
それは「不変の真実」や「倫理的問題」ではもはや無いはずです。
「一般論」と言うのが今の定義ではないでしょうか。
一般論とは日常的なルール等から、皆の意見が作るものですよね。
それはとても怖い事だと思いませんか?
それがどんなに悪い事でも、間違った事でも、
日常化されてしまえば「常識」となってしまうのです。
そして一度決まってしまった「常識」はそう簡単に動きません。
最近の話で例を出すならば「君が代問題」でしょうか。
学校や文部省では、今までやってきた常識的儀礼な訳です。
それがどんなに馬鹿らしい事だろうと間違った事だろうと、
死人が出るまで問題にはならないのです。悲しい事です。
「常識」という意味がかなり低レベルである現代にも、
子供達が「学級崩壊」を起こすキッカケがある様に思えます。

3月12〜15日

長旅の為に更新がおろそかになった事をここで深くお詫びします。
さて今日のお題はどうしましょうかね。「人格」にでもしましょうか。
どうも最近多重人格の人が多いと言われますね。そういう気もします。
でも多分、大抵は相手によって態度を変える事からなんだと思うんです。
その、自分を基準にして、同等、上等、下等とランクをつけ、態度を変えている。
それが自然になってしまったりすると、自分で矛盾が生じてしまう。
また、優等生等、最近は「演じる」事が多いと思うんです。
それは自分がありのままでは受け入れられないからと思っているのでしょうが、
そのギャップ・・・本当の自分、優等生から出る自己矛盾から、
逆ベクトルに意識が働いて、内心では教師を馬鹿にしたりしている。
それが溜まりに溜まると自分は多重人格じゃないかと思ってくる。
・・・とまあこれは僕の経験談なんですけどね、実は。(苦笑)
最近は「仮面」の生活も馬鹿な事してたな、と思えるようになりましたが、
基本的に楽なんですよね。固定観念を作ってもらえるわけですから。
それが空しい事だと気づくまでに、随分時間を無駄にしましたが(笑)
と言う事で、何が言いたいかというと、「自分は大切にしようね」という事です。

3月10・11日

自分の人生をいつ決めるかというのは結構重要な気がします。
ここでの意味は自分が将来就く職業を何にするか、なのですが、
それが比較的早い時期に決まる人は楽だと思います。でも、
自分の生涯やり続ける仕事がなかなか見つからない人が殆どでしょう。
小学校の頃から各自の個性を伸ばそうと、今学校では頑張っている様ですが
それが果たして子供たちにとって良い事なのか、というのは疑問です。
子供の頃に足が速くても、高校生になったら考古学を学びたいと思う人も
いるかもしれません。でも小学校の頃から陸上しかしてこなければ、
そういう進路には進み難いはずです。今まで勉強していない訳ですから。
小学校からの個性を伸ばすと言う各能力の専門化は、小学生と言う幼い時期に
決めさせて良いものかどうかという点で、僕は疑問に思います。
ですが、僕が自分の進路を決めたのは小学生の頃ですけど。

3月9日

小論文を毎日書いております。先生によく言われる事は、
「批判的なのは構わないが建設的ではない」という事。
どうも僕の言っている事は不毛過ぎるようです。
建設的な事を言うのは結構怖い事なのですが、
批判ばかりして何も言わないのは卑怯だと考え、
これからは建設的な意見も言っていこうと思います。

3月8日

人間は何故長生きをしたがるのでしょう。
それは人間が何故生きようとするのかにかかってくるのでしょうか。
自分が生きてきた中で育んできた色々な宝を見つづけたいのでしょうか。
それともただ漠然に死が怖いのでしょうか。
孫達の笑顔が何よりもの宝なのでしょうか。
別に高齢者達の存在価値を否定しようとしている訳ではありません。
ただ高齢者達が、余生を過ごそうと決めた時、自分の存在意義を
どう置くんだろうと気になっただけです。

3月7日

どうもこの国は長生きが幸せでは無い様です。
というのも、雇用機会だとか年金だとか、老後の事とかその他諸々、
お年寄りに優しくないんですね。高齢化社会だから仕方ないと言えば
それまでなのですが。どうもお年寄りが邪魔者扱いされている。
僕は祖父や祖母と暮らしていないし一年に数回しか会えません。
そんな僕が口だけで何を言っても仕方ないのかもしれませんが、
せめて自分の親の面倒は見てあげたいものです。大変でしょうが。

3月6日

人間は本来落ち込むべき時でも、周りの人間に落ち込まれると
無理してだか何故だか明るくなってしまうものですよね。
自分は今日の結果によって後一年頑張る事が決まったのですが、
その一年を有意義なものにするかしないかは自分が決める事なので、
精一杯頑張るかな、と思いました。前向きに行こう!

3月5日

「君が代」が問題になっております。
僕は学校側が何故そこまで歌わせたいのかが解りません。
そして「君が代を歌うな」と言っている人達も解りません。
でも卒業式で歌いました。それは一つの「約束事」だと思ったから。
「蛍の光」や「仰げば尊し」もそう思って歌いました。
生徒側から言わせてもらえば、そんな事で討論するよりも、
他の事・・・・例えば食堂を作るかどうかとかを討論してもらいたいです。
一年に一回の事で人が死ぬなんて馬鹿らしいじゃないですか?

3月4日

臓器移植が無事成功したそうで。問題ありありの中だけど。
脳死は人の死かとか、どうなんでしょうね。
遺族が納得すればOKだと個人的には思ったりします。
とにかく他の人がとやかく言う問題じゃないかな、と感じますね。
人間の身体を売買するブローカーも何だかな、という気もしますが。

3月3日

人に信じられるにはどうすれば良いかと考えるに、
どうも態度で示すしか無い様だと思い愕然となる。
だがこの場合の態度とは日常生活全般での態度であり、
勿論一時的な状況下においての態度では無い。
だがならばこの場合、態度ではなくむしろ人間性となるのではないか。
日常、つまり普遍的な態度とは人間性の現われた行動となるからだ。
これだけを考えても人から信頼されるという事がいかに難しいか解る。
偽りの信頼で良いのなら、別に構わないのだが・・・・。

3月2日

人に伝えたい言葉があっても、なかなかその言葉はそのまま伝わりません。
自分が誠実であればそれも伝わるのですが、僕みたいな軽薄な人間の
言葉は、どうも素直に受け取ってもらえないみたいです。
全ては自分の人間性の問題なんですが・・・・。
軽薄な人間が真面目な事を言おうとするのが間違ってるのかな(涙)

3月1日

今日は卒業式でした。振り返ると色々な事がありましたが、
教師に何かしてもらったという記憶はありません。
むしろ生徒間で試行錯誤を繰り返し、成長していった気がします。
結局尊敬に値する教師は探せず、いささか寂しい気もします。
僕達生徒と教師の間は一見非常に仲が良い様に見えるのですが、
そこには見えない鉄のカーテンというか、深い溝がありました。
卒業した後に思った事は、自分も変な意地を張らず、
心を開いて教師達と接すれば良かったかなぁ、という事。
結局大人気無かったと後悔するのは全てが終った後なんでしょうか。


Old Diary / Menu
Old Diary / Top
Discord-World / Top