2月28日
では教師の側に必要な事は何だろうかと考える。
僕はその一つとして「謙虚さ」が必要だと思っている。
自分がやってきた教育に対し、自信を持つ事は結構だが、
どの生徒にもその方法が通用するとは限らない。
特にここ数年は、ベテラン教師と生徒達とのギャップが顕著に現われている。
先生と生徒の関係だから先生が威張って良い訳ではない。
むしろ生徒の視点まで自分の視点を下げ、接する事が大事ではないか。
ただし視点を下げるという事は腰をかがめれば良いという簡単なものではない。
もしかしたらその先生のアイデンティティを否定する事になるかもしれない。
だがそれを恐れず、生徒と一緒になって考え合ってこそが、
教師に必要な事ではないだろうか。
2月27日
生徒が教師に望む事って何だろうと考えた。
一言で現すと「信頼」じゃないかと思う。
「この先生は自分の事を解ってくれているな」という教師は理想的だ。
だが実際そんな事は不可能に近い。でも生徒は切実にこれを望む。
愛情の飢えでもあるのだろうが、何しろ人から認められたいのだ。
でも中には放っておいて欲しいという子供も居る。実にやっかいだ。
そういう点でも、教師というものは実に責任重大で難しい仕事である。
2月26日
後期試験の為に小論文の勉強をしなきゃなりません。
その練習の為に教師から課せられた内容は「教育」を800字で書け。
というもの。アホか己は!と怒鳴りそうになるも忍耐、忍耐。
仕方が無いから「教育」の一片を剥ぎ取って自分の考えを書くつもり。
せっかくだから教師の事を書こうかなと思う。
これからの日本を作るのは教師だと思うんだが、どうだろう?
2月25日
現在の学力とは「学習する力」であり、「学ぶ力」とはかけ離れている。
また記憶力にも深く関わっている受験とは、一体何を計る試験なのか。
・・・・だが、努力して勉強してきた人間にはこの方法こそベストであり、
努力していない者には下らない試験と映るかもしれない。
学校で真面目に勉強している者に、たった何週間か勉強した者が
勝とうというのは、実におこがましい行為なのかもしれない。
2月24日
明日は最初で最後の試験です。そんな今日のテーマは、
マインドコントロールがどれだけ試験に影響するか?
自分は単純なのか、センター試験の時は「一週間必死に勉強したから」
という根拠の無い自信に満ち溢れ、結果は従来以上の力を発揮。
それはきっと自己暗示にかかりやすいタイプの人間(性格?)
だったからだと思うんです。自信は緊張をほぐしてくれます。
そのかわり壁にぶつかれば脆いんですがね。(ははは・・・・)
まぁ何にせよ、二次試験、楽しんでやってきたいと思います。
2月23日
国立大学の過去問をやっているんですが、
センター試験より断然面白い問題が多いです。
何だか学校や年度によって面白さはまちまちなんですが、
考えさせられる問題や、素直にうなずけてしまう問題等、多々あります。
それだけに解答例を見てガックシきたりするんですけどね。
センター試験もああいう面白い問題にしてくれると良いのに、と思いました。
あ、ちなみに「面白い」と「出来る」は当然別ですよ、ハハハ・・・・。
2月22日
友人の母親が亡くなったのでお通夜に行ってきました。
かける言葉が見つかりません。やっぱり。
自分としては何か言ってあげたいのだけど、
本人を前にしてはやはり何も言えなかったです。
しかし学校のクラスメイトに来られても嬉しくないと思うんです。
学校から連絡網じゃ無いから、と言いつつ半強制的に来させる。
勿論仲が好いなら別ですが。なんだか義務的な感じがして嫌なんです。
友人が同級生達にすまなそうに「ありがとう」と言ってるのを見て、
凄く切ない・・・・というか、そんな事言うなよ、と思いました。
2月21日
下にも係わるけど、やっぱり先生がストレス抱えているとマズイよね。
いやぁそれはストレス無しな人なんていないんだけど。
許容のキャパシティの広さっていうのかな、
自分の持論に絶対の自信がある人間や、忍耐ゼロの人間って、
教師に絶対的に向かない気がする。
子供達と接する事に辛さを感じたら危険な状態だと思う。
はやく教育の現状に立って、肌で感じてみたいな。
2月20日
今日の教育テレビで「先生だって悩んでる」っていうのがやってました。
あれを見て思った事は先生にもメンタル面でのケアが必要だなぁ、
という事。特に教育問題が取り上げられている昨今、
教師のストレスは本当に深刻な問題であろうと思いました。
特に教師は孤独であるというセリフは、切実な心情なんだろうな、
と感じたり。教師間での愚痴や励まし合いや会話さえ無いそうですし。
教師に気概が無ければ生徒に伝わる事も伝わらないでしょう。
教師専用保健室ってのもあっても良いな、と思いました。
2月19日
「テメェら糞うるせぇんだよ!!邪魔なんだよこの低能単細胞が!!
クッチャべりたかったら外でやれやコラァ!?」
・・・・なんて事を奥ゆかしい僕が言えるハズも無く、
持ってきたウォークマンを取り出し、ヘッドホンを耳に装着。
音量を最低に下げ、楽しそうに話ししている彼らを尻目に、
勉強に没頭しました。
なんていうのかな、世界に存在するのは自分達だけだという
傲慢というか・・・・。勘違いというか・・・・。
誰かがガツンと言ったとしても、
あれでは反省さえもしないな、と思いましたよ。
しかし注意しない同級生も問題ですな。
次にああいう事していたらしっかり注意してあげたいと思います。
絶対ムカツク〜と言われるけどね(苦笑)
2月18日
当たり前のマナーさえ守れていない人達が多いです。
それは成人式の話にも合うんですが、若者に多そうですね。
今日、図書館で勉強していると、受験生らしき高校生達数名が、
ガヤガヤと談笑しながら賑やかにやって来ました。
彼らは各自の場所に座り、自分の荷物をドカドカと置きました。
フーン勉強するのか偉いなぁ、と思ったら
その図書館内に居た知り合いの所に押し寄せる。
周りの人達に睨まれながらも平気な顔で喋り続ける。
しまいには携帯電話を取り出して話し出すしまつ。
ブチ切れ三秒前の僕は・・・・・(続く)
2月17日
三月に近づくにつれ、そこここで工事が行われています。
ハッキリ言って迷惑ですね。大激怒したいですよ。
予算を合わせる為にああいう事になっているんですが・・・・
全く行政の好い加減さには呆れてしまいます。
だって純粋に変でしょう?やらなくても良い場所を工事するなんて。
それで道路が綺麗になって、歩行者用の道路が作られる、とかなら、
まだ納得もいきますが、殆どが大雑把なもので、
道路がデコボコになり、工事した場所が盛り上がったままになっている。
これはバイクや自転車の人には驚異です。
いい加減システムを変えて欲しいものです。
2月16日
ストレスは極力溜めない方が良いですよね。
溜まりすぎると何時爆発するか解らないし、
ささいな所で爆破してしまうかもしれない。
小さいストレスは、愚痴やスポーツ、ゲームで発散できますし。
後は考え方次第でしょうか。何故何時も僕が?
とか考えてはいけません。笑うのも結構ストレス解消になりますよ。
2月15日
テレビ朝日の視聴率20%の番組が問題になっています。
さて我々視聴者はこれらの事件に何を読み取ればいいか。
報道の曖昧さ?それとも世間の滑稽さ?
僕はこれを機にもっとダイオキシン問題を深刻に考えなければ、
と思います。皆ダイオキシンが危ない、というのは大体解っている。
だけど一種類の植物だけ突出して濃度が高い、という事は、
普通ありえません。その全区域が汚染されていると考えるべきでしょう。
それに日本内だけに視点を固定してはいけません。
ドイツ等、欧米の例と比べて行政からの見直しが必要ではないでしょうか。
視聴者は、テレビに対し憤りを感じるより、何もしない行政に対し
怒りを感じるべきではないでしょうか。
しかしテレビ朝日が所沢の農家に与えた打撃は深いでしょうね。
2月14日
大切な人は居ますか?
心に暖炉を作れますか?
他人に分け与えるスープはありますか?
非常口を無意識に探していませんか?
ほんの少しの勇気とほんの少しの優しさで
世の中笑顔で歩いて行きたいですね。
2月13日
新聞には話題にすべき事が多く書かれている。まぁ当然なんだけど。
昨日の事にも関わるが、今日は「結婚」の事。
記事を見て解る事は誰もが出会いが無いと言っている事。
そして誰か素敵なパートナーが現われるのを待っている。
すごく受け身な訳なんですな。そして夢を見ている。
傷つきたくない症候群と呼ぼうか。まぁ誰もがそうなんだろうけど。
「顔」が「性格」がと相手を吟味している貴方!
まず「自分」を見つけてくださいな。
2月12日
朝日新聞の記事に、こう書かれている。
子供の変化が社会問題化した時期は、これまでに二回あった。
第一期は「商品文化に侵され、勤勉さやモラルを失った現代っ子」
として注目を集めた1960年代。高度経済成長期であった。
第二期は「リンゴの皮が剥けない、三無主義」と批判された70年代半ば。
消費者として受け身化した子供に懸念が広がった時期だ。
そして今は第二期に子供だった世代が子育てをしている第三期である。
人間関係を経験しないまま育った彼らが、子育てという手作りの世界に
巻き込まれて戸惑っている。面倒な事に手を抜きたい親も居れば、
逆に細かくマニュアル通りにやらないと不安な親も居る。
考えれば当然な話である。子供が親に成る事は。
問題は子供が精神的な成長をせずに親と成る事ではないだろうか。
2月11日
もう泣きたいッス。今日の朝日新聞学級崩壊の記事読みましたか?
今までは中学校の学級崩壊から小学校が問題になっている、
というものでしたが、今日の学級崩壊の記事は違いました。
幼児期にしてその兆しがありありと現われている、と書かれていました。
その記事はきっと少しの誇張があるのだろうけど、
もの凄い傍若無人ぶりが書かれています。
まぁ幼児期にはある程度そういう時があるものですが、
どうもそのレベルが違うみたいです。本当にどうなってんでしょう。
原因と思われる事が書かれていましたので、それは明日。
2月10日
子供の遊び場に、「森」を提示した人がいる。
そりゃあそんな自然にあふれた所、面白くないはずが無い。
でも現在、いわゆる「一人遊び」だと言われているのは、
都心で両親の帰りを待つ子供達では無いだろうか。
「一人遊び」は楽しい。その中で自分が絶対者と成れるから。
多人数での遊びは難しい。決して自分の思う通りにならないから。
だが対人関係の祖となるのはここからではないだろうか。
自分の無力さを知るのも、成長の一過程だと思う。
2月9日
今の「食生活」って豊かだと思いますか?
豊富な種類に飽和するほどのゴミの量。
でもそれが豊かだと言えるでしょうか?
インスタント物に頼り、野菜はビタミン剤で取り、
外食してその場を過ごす。それは豊かなのでしょうか?
生活に無駄を省いてきた人間が、食生活にまで無駄を省こうとしている。
そうでなくて、バランス良くきちんとした食事を取りましょう。
純粋に、そっちの方が美味しいでしょう?
2月8日
こういう事書いてて恥ずかしくないのかと言われました。(笑)
うーん、まあこの日記では思いついた事書いているから・・・・。
でも、とりあえず考えた事は書いとこうと思います。
考えないよりはマシだと思うから。
そして反論でも良いから、皆にも何か考えて欲しいと思う。
きっかけになれば、良いんですよね。結局。
2月7日
TVでやっていた。「誉めると能力が上がる」。
それは事実。でも表面だけをとってはいけない。
誉め過ぎは増長させる。過信する。ワガママになる。
ようは適度、が肝心な訳だ。子供はなんかは特に。
しかし全く誉めなかったり、八つ当たりしたりするよりは、
数段マシであろう。誉められるのは嬉しい。
照れたりしないで自分の心を素直に告げるのが良いんだろう。
2月6日
自分はよく人に酷く曖昧な事を言う、と責められます。
言われて自分も気づきました。そういやそうだな、と。
それは自分が自分の意見に自身を持っていないからでは?
という事なんでしょう。自分で言うのも恥ずかしいですが。
そしていわゆる当たり障りの無い言葉を選んでいる。
傷付きたくないんでしょう。そして人を傷付けている。
2月5日
「集団心理」って怖いと思いませんか?
皆が口を揃えて同じ意見を言っていると、
なんだかそれが正しいんだと思ってしまう。
「学級崩壊」にも見られるし「社会現象」にも見られます。
勿論、自分が本当に“良い”と思ったからそれを選んだ、という
人もいるんでしょうが、多くの場合は“流されて”だと思うんです。
“流されてしまう人”ってどういう人かな、と考えました。
・いわゆるマスコミ信者。
・自分に自身が持てない人。
・寂しい人。
これだけじゃないだろうけど、今すぐ浮かんだのはこれだけだなぁ。
2月4日
「やさしさ」ってなんでしょう。
人を傷付けない事ですか?
それとも現実を教える事ですか?
嘘は「やさしさ」とは呼べませんか?
貴方に「やさしさ」はありますか?
人を騙し続ける事も「やさしさ」ですか?
心に、ゆとりは在りますか?
2月3日
朝○新聞読みましたか?
学級崩壊の事が大々的に載っていましたね。
「なるほどね、そういう意見も確かにある。」
と思える様な意見もあります。思えない意見の方が多いけど。
気になった事は、大人を代表して意見を述べる人達は、
どこかしら「他人事」だなあ、って事。
「子供はタスケテのサインを出している。」
とPTAのオバサンは言っていますが、
現場の教師にそんな余裕、あるでしょうか?
タスケテ欲しいのはコッチの方だ、と思っているはず。
学級連鎖崩壊・・・・社会が根本から変わるしか、
食い止める事はできないのでしょうかね。
2月2日
「命」の問題で、僕の好きな作家、村上春樹がこんな話を書いている。
「火星に住む人々の寿命はとても短いんだ。だから火星に住む人々は、
いつ誰が亡くなっても悲しまなくて済むように、彼らが生きている間、
目一杯お互いがお互いを愛し合うんだ。誰かが亡くなってしまった時に、
後悔しなくて良いようにね。だから火星には戦争が無いんだよ。」
僕はこれが一つの理想の形だと思う。勿論、問題はある。
現実問題、ふとした事で人を憎んでしまうだろうし、
愛情に「足りる」なんて事は無い(と思う)からだ。
でも、もっとお互いを「愛し合う」事は大事じゃないかな、
と思うんだよね。・・・・最近言う事がインチキ宗教家だな・・・・。
2月1日
学級崩壊が話題になる昨今、教育問題がかなり問題になっている。
中学校のガキが現実を受け入れられずに反発するのは理解できるが、
小学生の子供が今は怖いそうだ。新聞を読んでいて嫌になる。
しかし教師もまた理解不能な輩が多い。
母親が亡くなった生徒を元気づける為に、
クラスの皆に「人は皆死ぬんだ。だから怖がる事は無い。」
と言ったそうだ。その日からその生徒は登校を拒否している。
小学校の先生を夢に持つ僕には、この“死の重さ、尊さを教える事”は、
実に深刻で、逃げられぬ、逃げてはならない問題であると思う。
1月31日
まあでも豚や牛の肉食ったりしているんだけどね。
ただやはり自分で殺したか人が殺してくれたかの違いなんでしょう。
やっぱり豚の肉って食べ物としての「肉」としか感じない。
こんなんじゃ命の尊さなんて口にできないね。
1月30日
意味ありげに持ち越したけど、言う事は至極当然の事。
てのは問題は「非現実的世界」じゃなくて「逃避する自分」
ていう事なんですな。当たり前の事ですわい。
前に小学生が「寄生獣」っていう漫画について楽しそうに会話してた。
勿論彼らや僕らはそこが「漫画の中の世界の話」だってのは解っている。
でも凄惨な殺戮場面を興奮して楽しんでいる自分が居る。
僕は「サイコ」も「寄生獣」も「地雷震」も「バイオハザード」も好きだ。
また、映画の中で主役が敵役を次々に殺すのを見るとつい格好良いと思う。
そしてそんな自分を時々とても怖く思う。そしてとても嫌になる。
1月29日
漫画やアニメや映画が子供達に影響与えるってよく聞きますよね。
その、殺戮場面や精神異常的行為が不健全な影響を与えると。
また、そういう異常犯罪を犯した人間の家から、
そういう漫画等が応酬されたら、マスコミは取り上げます。
僕はそれはある程度は正しいと思いますね。
っていうのは、そういう漫画等の中の世界、
つまるところの非現実的世界の内容に魅了され、
何時の間にか現実世界とLINKして考えている時がある。
と、まあ重度の妄想癖のある僕は思うんですな。
でも、勿論問題はそういう非現実的世界にのみある訳じゃあない。
それはまた明日。
1月28日
テレビでやってました。
“男は我が侭を言う女に惚れる”
どひゃーそういう事を全国ネットで放送するかぁ!?
これでワガママ勘違い馬鹿女が増大する事間違い無しだ!
でもそういう女性に限って限度とか熟知しているんだよねぇ。
男の皆さん、用心しましょうね。(トホホ・・・・)
1月27日
ガイア主義についての知識は実は殆ど無いんだけど、
以下の様なものだと考えている。
“地球そのものを生物だと考え、そこにある生物なり土壌なり全ては、
一つの細胞にすぎない”
身近な言い方で言えば「宇宙船地球号」っていうのかな?
スケールのデカイ話だよね。
人間が希少動物と共存しようとか、地球を温暖化しようが、
実は地球自体には何の影響も無いんだろう。
一番影響あるのは“人間”なんだ。
なのに、希少動物は何がなんでも保護しろっていうのは、
自分達が言っている“建前”とは違うんじゃないの?
と、まあ三日間に渡りそう言いたかった訳なんですな。終わり。
1月26日
まぁしかしその場で働いている人間には切実な問題でしょう。
他でも山で増えたイノシシとかが畑を荒らして大変だそうです。
で、何が苛立たしいって外から見てる奴が勝手な事を言っている事。
(つまりここで取り上げている自分も含まれるんですが)
自分達が生きていけないから殺すっていうのはいさぎ良い。
今まで様々な弊害を実力排除してきた人間らしくて、ね。
種が少ないからって何がなんでも残そうってのは傲慢では?
実は、この問題、今年のセンター試験で出たんですよね。
その筆者は「こういう問題は森の内と外とを対等に位置させ、
共に考え合わなければならない。」らしき事を言いました。
ねぇ、何かを忘れていませんか?
エゾシカは?少ないからって過剰に保護された結果、
人間に害を与える程増えたら今度は殺されるんですか?
ちょっと昔に「ガイア主義」という言葉が流行ったけれど、
僕はこの考え方が好きですね。
まぁ、それはまた明日・・・・。
1月25日
教育テレビでやっていました。
エゾシカが人間の生活に影響を与える程増えすぎた為に殺していったら、
その殺されたシカの中に残ってしまった鉛弾を、
天然記念物に指定されているオオワシが肉と一緒に食べ、
鉛中毒になって死んでいっている様だ、と。
そしてそこの自然保護センター(曖昧)の職員の人が言いました。
「自然を守るには、増やす事も大事だが減らさなくてはならない事もある。」
いやはや人間って何様なのでしょうか。
一番自然を壊している動物は一体誰なんでしょうか。
まるで人間が神様になったみたいですね。
人間は各種の動物を数量でバランスを取ろうとしているのに、
自分達人間の人口は未だ比例的に延び続けています。
こういう事を教育テレビで放映するってのもどうか、と思いました。
(まぁ子供達に考えさせるっていう点では良いかもしれないけど)
・・・・明日に続く・・・・
1月24日
さてまぁ飽き易い創世主ですから、何時まで続くか解りませんが、
皆さんも一緒に考えてみませんか?
世の中の、色々な事を・・・・。
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