知的所有権登録=著作権登録について考える
知的所有権登録論=著作権登録論その本質と狙い
(C)中谷 進
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著作権登録関係の他のホームページ
発明の著作権登録について(体験談) 発明の著作権登録について 文化庁文化部著作権課
公表日1999年02月25日・訂正日1999年03月03日・訂正日1999年03月18日・訂正日1999年03月24日・訂正日1999年04月15日・訂正日1999年04月22日・訂正日1999年06月17日・訂正1999年06月29日・訂正1999年07月05日、1999年08月11日、1999年08月30日、1999年09月23日・1999年11月30日・ 2000年3月24日),2000年6月12日,2000年6月18日,2000年6月27日,一部訂正2001年1月6日,2003年11月1日、2003年11月23日.
(訂正個所は一ヶ月ほど赤文字で表示します。私も、勉強している身ですので、誤った記述や、不明な記述があるとおもいます。具体的な、ご指摘をいたければありがたいです。)
著作権と発明
特許法が保護するのは発明です。特許法で保護する発明とは「技術的思想(特許法第2条)」、すなわち発明の考え方(思想)です。
著作権法が保護するのは著作物です。著作権法で保護する著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」、すなわち思想を表現した文章や絵が著作物であって、その文章や絵の元になっている思想は著作物ではないのです。
著作権についてのわかりやすい文章がありましたので引用します。
「著作物とは、絵画、彫刻、写真、小説などのように、考えたことや感じたことを人のまねをしたりせずに表現したものを言います。
著作物とは、自分が思ったり、考えたりしたことや、あるいは、感じたりしたことを、他人のまねをしないで文字や絵などによって表現したものであって、文芸、学術、美術あるいは音楽の分野に属しているものを言います。」(知的財産権と知的創造物法入門 2ページ 佐藤 薫 オーム社雑誌局)
著作権法のどこにもアイデアや発明の考え方(技術的思想:特許法第2条)を保護する規定は、当然のことながらありません。
発明の考え方(技術的思想)が絵画、彫刻、写真、小説、発明品の説明書でないこと、著作物でないことも明らかです。
発明品の説明書を例に説明すると、説明書の文章や絵そのものは著作物ですので著作権法の保護の対象となりますが、その説明書に書いてある(表現されている)発明品を誰かが製造・販売しても、製品は著作物ではないので著作権法の保護の対象とはならないのです。(発明品や製品の説明書は「思想、感情を創作的に表現したもの」とは認定されない、すなわち著作物とならいない場合が多いのです。)
一方特許の場合はこれと逆に、説明書に書いてある発明品を誰かが製造・販売した場合、発明品ですから当然特許法の保護対象であり、特許権侵害だとして警告して製造中止や損害賠償等の法的措置をとることができます。しかし、説明書の文章や絵は発明品ではありませんので、特許法の保護の対象とはなりません。
すなわち、著作権はその本に書いてある文章や絵が著作物であるとして保護しますが、そこに書いてある発明品や文章の構成思想(ストーリー)などのアイデアは著作物ではないので保護の対象とはしていないのです。
発明品の取扱説明書が著作物である場合はありますが、それとて著作権が保護するは著作物である取扱説明書であって、発明品ではありません。
取扱説明書の添付なしに発明品が売れない、取扱説明書の添付が発明品の販売に大きな影響を与えるからといって、発明品が著作権によって保護されているわけではないのです。この現象を取り上げて著作権が発明を保護しているとするのは間違いです。あくまでも著作権によって保護されるは取扱説明書なのです。
発明品を効果的に使用するための有料の取扱説明書なり本が、発明品が売れることに大変売れた場合、逆に発明品が売れないために取扱説明書なり本が売れないとしても、発明品を保護している特許権が取扱説明書なり本を保護したとは誰も思わないでしょう。
取扱説明書などの著作物により発明品の販売が有利になっることがあることを根拠に、著作物を保護する著作権が発明品までをも保護しているようにいうのは、大きな勘違いです。
知的所有権登録論=著作権登録論について考える
初めに
豊沢豊雄氏 (発明学会会長、特許管理士会会長、東久邇記念の会会長)が推進する知的所有権登録論=著作権登録論とは、「著作権は技術的発明やアイデアを保護する」と主張し「豊沢豊雄氏が実質的なオーナーである株式会社知的所有権協会に著作権登録料が集まるようにした仕組み。」と定義することができます。
その「知的所有権登録論=著作権登録論」は、思想・発明・アイデア・技術という著作物ではないものが著作権法により保護されるとするもので、その手法は、著作権法の法文の改竄や歪曲によるものです。
豊沢氏の著書では、著作権法の条文・定義の解釈にあたり、条文や定義の記述の前後などに実例などをあげて説明するという,巧みな手法を取っています。このため、読者が他の部分での条文やその定義の記述と比較しながら検討することが困難になっています。したがってそのまま読んでしまうと,豊沢流の解釈になんとなく納得してしまうようになってしまいす。これは、著作権法の条文と定義を読んだことがある程度では引っかかってしまうものです。
ところが,豊沢氏が述べる条文や定義だけを抽出して並べ比較してみると、一目瞭然にそのデタラメさ悪質さが剥き出しとなってきます。そしてそれは,著作権法の第2条2項の条文の改竄と恣意的に歪曲した解釈が基調なっていることがわかります。
著作権法と特許法の定義
著作権登録ビジネスについて論じる前に、予備知識として著作権法と特許法の条文および定義その解釈について述べます。
(著作権法)
著作権法はその目的を第1条で「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と規定し、第2条2項で著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定義し、第2条2項で著作者とは「著作物を創作する者をいう。」と定義しています。 すなわち、著作権法は著作物(思想又は感情を創作的に表現したもの)とその利用及び著作者の権利をその保護の対象とし、その中心は著作権者の承諾なしに著作物の複製を行ってはならないとする複製権と、著作者の承諾なしに著作物の改変や公表や氏名表示等を行ってはならないとする著作人格権になっています。
著作権法が保護の対象としているのは著作物であり、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」で「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という二つの条件を満たしているものなのです。
すなわち「思想」そのものは「思想を創作的に表現したもの」(著作物)ではないのですから、著作権法では著作物の創作の元になっている思想そのものは保護の対象とはしていないのです。当然のことながら発明、アイデア(思いつき、考え、着想,構想)を保護するとする条文はどこにもありません。
上記「思想または感情を創作的に表現したもの」という定義だけからでは何が著作物にあたるのかイメージが湧かないので、著作権法では著作物の具体例を10条1項において概略次のように列挙しています。(詳細は条文そのものを参照してください。)
(1) 言語著作物−小説・脚本・論文・詩・随筆など、公園・演説・説教・祝辞・テーブルスピーチなど
(2) 音楽著作物
(3) 舞踊著作物
(4) 美術著作物
(5) 建築著作物
(6) 図形著作物−地図・図面・図表・模型など
(7) 映画著作物
(8) 写真著作物
(9) プログラム著作物(規約【特定のプログラムの言語の用法についての特別の約束】および解法【プログラムにおける電子計算機に対する指令の組合せの方法】は、プログラムに含まれない)
すなわち、著作権法が保護の対象とする著作物とは文章や図面や絵のそのものなのです。その文章や図面そのものを著作権者の承諾無しに複製(文章や図面として)した場合には著作権侵害となりますが、その文章や図面で表現されている発明品を製造したとしても、製造された商品としての発明品は文章でも図面でもないのですから,その発明品は著作権法でいう著作物ではありませんから著作権法による保護の対象とはならないものなのです。(このことは、豊沢氏の著作権登録論の狡猾な主張を見抜く大切な点ですので,しっかり理解してください)
また、著作物は同じものが創作されたとしても、それが相手の模倣でないオリジナルの創作であれば、そこには複数の著作物と著作権が発生するのです。
(特許法)
特許法は「発明」を保護の対象(客体)とする法律です。問題は、特許法が保護対象とする発明は,「隠れた物事を明らかにする」というような一般的に広い意味で使われる「発明」を指していません。
第二条(定義)「この法律で『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と定義しています。
すなわち特許法は「技術的思想」という思想(考え方)そのものを保護の対象とするもので、特許権を取得した発明(特許発明)を独占的に実施(生産、使用、譲渡、貸し渡し、貸し渡しの申し出)する権利が特許権者に与えられ、特許権者の承諾なしに製造等すると特許権侵害となるものです。
特許発明の権利範囲(技術範囲)は、特許庁に提出(出願)した明細書の特許請求の範囲の欄の記載(文章)に基づいて定められます。
特許においては、特許庁への書類提出前(出願前)にその発明と同じようなあるいは容易に考えられるような技術が公然と知られている場合には、その発明がオリジナルの創作であっても特許法で保護される発明とはなりません。発明者がその従来の技術を知っている知っていないは関係なく従来からある技術として特許はとれません。
特許法でいうところの技術とは、一定の課題を解決するための具体的な手段のことを言います。すなわち、その手段により一定の課題を解決するという技術的効果を生ずるものなのです。この点で,著作物と技術とは根本的に異なるものであり,「表裏一体」などと混同して論じることができないものなのです。
(コメント)
この表現は豊沢氏とその同調者の著書に盛んにでてくる表現です。
「技術的思想の創作」(特許法)を「思想創作の内容」(豊沢氏)と表現し「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法)を「思想・感情の創作の表現」(豊沢氏)と表現することの意味がどこにあるのでしょうか。
条文をわかりやすく正確に説明しているとは,とても思えないものです。
この主張は,読者がどのように感じるかと言うことのように思います。
「つまり両者は表裏一体、不可分の関係にある。」,それは、共通して「思想・創作」という用語が使われている。だから共通して「思想の創作」を保護するものである。というように読者に思わせる、感じさせるためのものだと思います。
特許法の定義から「技術的」を抜き,著作権法の定義に「技術」を加えるなど,法律の条文を改竄しながら,混同させ錯覚させ、著作権により思想(発明)が保護されように錯覚させてゆくのです。それは後述する著書の記述にあからさまにできます。
<2>
「工業所有権法と著作権法は『思想の創作』を保護する法律」(著作権の取り方生かし方P60)
(コメント)
特許法と著作権法は「思想の創作」を保護するものと完全に定義にしています。
著作権法が「思想・感情を創作的に表現したもの=著作物」を保護する法律であることを完全にねじ曲げ、特許法と同じように「思想の創作」を保護する法律であるというのです。この表現でいうと,特許法で保護される技術的思想=発明は著作権でも保護されることになるとの解釈も生まれます。(工業所有権=特許法、実用新案法、意匠法、商標法の四法を言う。)
<3>
「著作権は思想の創作だけではなく、感情の創作もふくまれる非常に範囲の広いものである。」(著作権ビジネスP47)
(コメント)
著作権は特許では保護の対象になっていない感情の創作も保護(著作権でも保護の対象とはなっていないのですが)するから,特許よりもその権利範囲が広い,特許よりも強い権利だとでも言いたいのでしょう。
著作権は「感情の創作」を保護の対象とはしておらず、「感情を創作的に表現したもの」を保護の対象としています。そもそも、保護の対象が違う特許法と著作権法のどちらが権利範囲が広いか狭いかと比べこと自体がまともではないと思います。
<4>
「著作権は技術はもちろん、学術や学芸などすべての感情や思想の創作である。」(著作権の取り方生かし方P54)
(コメント)
著作権は特許と同じように「技術」を保護するのはもちろん,著作権は「全ての感情や思想の創作」を保護すると言うのです。
こうなると、著作権は発明(技術的発明)を含む全ての知的創作を保護する法律でもあるかのように思ってしまいます。
<5>
「著作権は『文芸、学術、美術、音楽、などに関する範囲内で、思想または感情を創作したもの』(著作権法第2条)となっており、技術だけでなく、学術全体、その他文芸や音楽などでも創作は著作権として、保護されるのである。しかも、著作権は、思想の創作だけでなく、感情の創作も含まれるから非常に範囲の広いものである。」(著作権ビジネスP47)
(コメント)
著作権法の定義「思想または感情を創作的に表現したもの」を「思想または感情を創作したもの」とし、著作権法の最も本質的定義である「表現したもの=著作物」を抜いてそれを解釈・解説するのですから恣意的というほかありません。
さらに,「技術」と言う用語を著作権法の定義に持ち込んで、それにより著作権が特許法と同じように「技術」すなわち発明をも保護する非常に広く強い権利であるとしたいのです。
後述のを見ると、どうも学術のなかに「技術」も含まれると言っているようです。
<6>
「著作権の内容については、著作権法第二条に、@思想または感情を創作的に表現したものに与えるAその範囲は文芸・学術(技術的発明も含む)・美術・音楽等広い範囲に及ぶと定義されている。以上の二点のなかに隠されている精神は、発明のように技術的創作だけでなく、技術も含めた学術、美術、文芸、音楽などの思想の創作まで、権利を認めるということである。さらに、思想のみではなく、好きとか嫌いなどといった感情の創作まで権利に含めたところが、著作権法の大きな特徴である。特許や実用新案は技術的思想の創作という、ごく狭い範囲の発明である。これに著作権法が加わることによって、人間生活に大切な感情の創作まで、発明のうちに入ってきたのである。」(著作権ビジネスP122)
(コメント)
著作権法第2条は、「技術的発明」「発明のような技術的創作」などの「思想の創作まで権利を認めるということである」と言うのです。著作権法第2条のどのように読んでもこのような解釈は到底できません。
そのために、「Aその範囲は−学術(技術的発明も含む)−等広い範囲に及ぶと定義されている。」と,著作権法第2条の定義に「技術的発明」を無理矢理挿入し、著作権は発明を保護するようにみせかけているのです。悪質というほかありません。
さらに、「隠されている精神は、著作権は発明のように技術的創作だけでなく、技術も含めた学術・美術・文芸・音楽――の創作まで」と、著作権法がそもそも発明を保護する法律であって、美術や音楽にまでその保護範囲を拡大したものであるかのように述べているのです。
「感情の創作」まで「発明」として著作権により保護される、というおまけつきです。知的創作物はなんでも「発明」だと言いたいのでしょう。法律により保護をしようとする対象をまともに論じるのではなく,法文の改竄とデタラメな解釈を風潮して読者に混乱と錯覚を起こさせる恣意的な主張です。
<7>
「説明書のどこまでがアイデアで、どこからが表現なのかややこしい」(著作権の取り方生かし方P170)
(コメント)
説明書の文章、図面、絵そのものが著作物となる可能性はありますが、説明書そのもの(著作物)を創作する上での着想、コンセプト、構想は著作権によっては保護されないし、そこに表された発明品を製造しても説明書(著作物)そのものの複製ではないので、著作権侵害とはならないのです。
説明書はそこに印刷された文書や絵や図面などそのものが著作物であり、この説明書の複製そのものが著作権の対象であり、ややこしいことはなにもないのです。発明と著作物をごちゃごちゃにし,著作権と特許権をごちゃごちゃにして論じる豊沢氏の理論がややこしくししているだけなのです。
また、同じような説明書が複数者によって創作されても、模倣したことを証明しない限り、そこには複数の著作物と著作権が存在するだけで、相手を著作権侵害とはできないのです。
少なくとも、豊沢氏が勧める「株式会社知的所有権協会」への「著作物の登録」は秘密状態にあるわけですから,第三者は見ることができないわけですから,著作権侵害とは到底できがたいものです。
また、製品の説明書の場合、その操作や使い方の一般的な説明文は創作性がありませんので,著作物に該当することは殆どないのです。一般的でない表現の絵や語句を用いての説明書は著作物にはなりますが,それとて、絵や語句を別の内容や表現にしたり、一般的な説明にすれば著作権侵害とはなりがたいものなのです。
<8>
「すると著作権を研究すればするほど、アメリカがやったように著作権で旧発明(特許意匠商標)の保護はできる。とくに大事な表現の保護は、著作権でなくてはできない。今まで程度が低いとして特許にならなかったものも、著作権なら権利になって、百年もの長い期間、わがものとすることができる。」(著作権出願法P84)
(コメント)
そもそも外国の法律のことを法律の違う日本に当てはめること自体がおかしいのです。また、アメリカにおいて著作権によって旧発明が保護される政策や法律の制定をした事実はないのです。
ましてや、「程度が低く特許にならなかった発明が著作権によって権利となり百年間は保護できる」などと言うことは、アメリカでも日本でもありません。極めて悪質な嘘です。
こうした,読者が調べることが困難な外国のありもしないでたらめな事柄を述べて、著作権によって発明が保護されると思いこませたいわけです。
豊沢氏の著作権登録論は到底まじめに著作権を研究したものなどと呼べるものではありません。
いかにして発明を知的所有権協会へ著作権登録させるか,そのために著作権が発明を保護すると思いこませるか、というところに知恵を絞ったものであると言えます。
<9>
「米国では、どんな小さなアイデアや発明でも、著作権によって保護するという法律を作って、登録させて、それを財産にしている」「文化庁では・・著作権読本を作り・・『著作権はアイデアの保護をしているから絶対に侵害してはならぬ』と教えている」(著作権に対する二大論争P6、P8)
(コメント)
アメリカにおいて上述ような法律は作られていないし、文化庁の著作権読本にも上述のような記述はなく、逆に「著作権ではアイデアや発明は保護されません。」と記述されています。また、文化庁のホームページにでは民間団体の著作権登録に注意するよう呼びかけさえしているのです。(文頭で紹介している文化庁のホームページをご覧ください)
事実は豊沢氏の言っていることとは全く逆なのです。
<10>
「ところが最近は知的所有権(著作権)が世界的に重視され、小アイデアでもソフト発明でも、わずか2千円で登録ができ、高く売れるようになった。そのため今まで捨てていたアイデアは全部、権利になり換金できるようになった。」(知的所有権協会の封筒裏面)
「それは新特許(著作権)の登録なら、文化庁に登録出願しても、たったの三千円ですむからである。知的所有権協会なら二千円で登録証明してくれる。昔の千五百円よりも率にしたら、もっと安いからである。これで発明が保護できたら、夢よもう一度、発明人口をふやしてこの不況を救うことができる。」(著作権出願法P83)
著作権=新特許(特許の中に著作権を入れてしまった)(著作権出願法p83)
(コメント)
「特許の中に著作権が入れられた」としそれを新特許と定義し、2000円で知的所有権協会に登録するとそこに書かれた「発明が保護」されると言うのです。
知的所有権協会は豊沢氏が全ての実権を握る株式会社であり、文化庁などの公的機関とは全く関係のない認可も許可も関係ない一民間団体であり、そこが行う著作権登録業は何ら法的規制も受けないでおこなわれている営利事業なのです。悪徳業者が行った場合の著作権登録行も同じものです。知的所有権協会事態が悪徳業者ですけど。
こうしたところが発行する証明書が、はたして裁判において証拠として採用されるかどうか大変疑わしいものです。
「これで発明が保護できたら、夢よもう一度、発明人口をふやしてこの不況を救うことができる。」が私には「これで発明が保護できると思わせられたら,知的所有権協会への著作縁登録とその推進員を増やして,私(豊沢豊雄)の夢である大儲けができる。」と読めるのですが!
<11>
「文化庁への登録がそうとうに難しいことは、これまでに説明したとおりである。特に普通の人には、著作権の登録はなかなか大変である。そこで知的所有権協会がサラリーマンや主婦や子供の創作物でも手軽に登録ができ、証明をすることになった。」(著作権の取り方生かし方P136)
(コメント)
知的所有権協会が文化庁に認可かなんかされた公的機関のように思わすような文章です。団体名自体が公的機関のような名称です。文化庁への著作権登録について詳細に述べているのは、知的所有権協会を公的機関と思いこませると共に,文化庁への登録と知的所有権協会への登録が同じ効力があるように思わせ、安く簡単な協会への著作権登録を行わせるための呼び水とするためです。
以上のように、豊沢氏が如何に著作権法の条文を改竄しねじ曲げて解釈し、発明やアイデアが著作権法により保護されるかのように言っているかが、よく分かると思います。
ただ単に誤った理論を風潮するというのではなく,人々を扇動し組織し実際に発明を,自分が運営する機関に有料で登録さ,大儲けをしているわけですから悪質です。
<豊沢氏が「著作権は発明を保護する」ものへと変質させて行く流れ>
「正しい条文=思想または感情を創作的に表現したもの」――「思想・感情の創作の表現を保護するもの」――「思想の創作を保護するもの」――「思想の創作だけではなく感情の創作も含まれる非常に範囲の広いもの」――「技術を含むすべての思想の創作を保護するもの」――「発明のような技術的創作を保護するもの」――「感情の創作も発明」――「新特許(特許の中に著作権をいれたもの)」――「程度の低い発明が著作権により権利となり百年保護される」――「著作権登録は知的所有権協会へ安く登録できる」
以上,豊沢氏の知的所有権登録論=著作権登録論を氏の著書の記述に沿って検討してきました,そこに見えてくるものは何でしょうか。
それは、何が何でも「著作権法が発明・アイデアまでをも保護する法律であると思わせたい」という下心であり必要な執念です。
そのために、著作権法の条文を必要に改竄・ねつ造する、条文に用語を忍び込ませる、ねつ造した嘘を並べたてる、という悪質さです。
その目的は、発明・アイデアなどのちょっとした全ての知的創作までもが、著作権により長期間保護できる,金にできると多くの人に錯覚させ扇動し、それは安い登録料で知的所有権協会に登録(証拠にする)することにより可能となると思わせ、豊沢氏の元に膨大な金が集まる狡猾な仕組みを構築拡大するための狡猾な理論であると言うことです。
豊沢氏の理論と特許法と著作権法についての考察
特許法は国家が保護に値する発明であるかを審査してパスしたものに特許権を与え、出願から20年間はその発明を実施する独占権を与えるものです。
豊沢氏の主張のように著作権による発明の保護を認めることにすると、発明を説明した著作物の創作があると、国家による審査、登録なしに著作権者に、その著作物に記載した発明を実施する独占権が発生してしまうということになる、特許法による発明の保護について、不正確な考えと混乱を広げるだけのものです。
また豊沢氏の言うように思想が著作権により保護されるということになると、ある思想をベースにして著作物を創作さしようとした場合にはその思想の創作者の承諾無しには創作が行えないという,文化の発展を阻害する考え,表現の自由に制限を加える考えと言えるものなのです。
豊沢氏やその同調者が上げる実例や主張について
実例のダイエットスリッパについていえば、著作物でないダイエットスリッパの販売を「著作権侵害」だといわれて、なぜ中止したのかよく分かりません。おそらく著作権や特許権についてよく知らなかったのだと思います。よく知っている会社なら、「著作物でないダイエットスリッパの製造、販売は著作権侵害ではないので的外れなことは言わないで下さい」と行って来るのが一般的のはずです。
「説明書が著作権侵害である」と警告したというならまだ分かります。これでも、特許権、著作権の法知識と運用を知っている会社であれば、「似てはいますがオリジナルの説明書ですから著作権侵害ではありません」「単なる商品の取り扱い説明書ですから著作物にはなり得ないと思いますが」と返答してくるでしょう。
多くの企業が著作権法や特許法についての正しい見識をもつにともない、このようなやり方はいずれ通用しなくなります。
ダイエットスリッパやオセロゲームは添付された使用説明書が著作物でありこの使用説明書が著作権により保護されたということなのでしょう。だからといって、使用説明書を添付しなければ、それらの商品が売れなかった?ということを理由に、著作権によりオセロゲームやダイエットスリッパが保護されたと言うのは正しくないのです。使用説明書を添付しないで販売したら、その製品は著作物ではないのですから著作権侵害だとはできないからです。すなわち、著作権により保護されたのは説明書であって、オセロゲームやダイエットスリッパではないのです。
また、こうした実例をもって、殆どの発明・アイデアの説明文なりパンフレットなどが、上記実例のような効果を発揮するかというと、現実はそう多くはないのです。むしろ希薄なのです。
大切なことは、発明をしたら、その発明の特性(販売も含め)なりをよく分析し、知的財産権に関する諸法規によりどのように保護したら最も効果的かを十分に検討し、特許法、意匠法、商標法、不正競争防止法、著作権法等による保護の仕方を決めて、必要な手だてを打つことなのです。この場合、前提として知的財産権関係法の全ての法律及びそれらの相互関係について、実践的なノウハウも含め十分相当な知識があることが必要です。一民間業者に簡単な文書や絵なりを登録して、その発明が保護されるほど実際は単純ではないのです。
次の文章を紹介しておきます。
「著作物の要件範囲?産業状の利用を目的とする技術的、実用的な作品は、法にいう著作物には、原則として、当たらないことになる。」(特許 本質とその周辺 三宅正雄 P460)
ここで言う「学術」とは、第2条2項の条文「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」の「学術」のことを指しています。
条文の定義から明らかなように、条文でいう「学術」とは,あくまでも著作物の(研究論文や学術文書など)内容のことであり,技術そのもの:発明品ではありません。
学術論文(著作物)に記載された技術は著作物ではありませから,その技術に基づいた例外:建築物の設計図に基づく建築物の完成は著作権の保護対象)装置などを実際に製造しても、それは著作権の保護対象とはなりません。
豊沢氏は,ここでも、条文のなかから「学術」いう用語だけを取り出し、その用語の中に「技術」という用語も含まれることを取り上げ、その意味とは全く別の解釈となるように、「学術の中に技術も含まれる」というすり替えともいえる手法で、著作権法が「技術」までも保護するものであるかのようにしているのです。
<製品の説明書による発明の保護という主張について>
豊沢氏は、「製品(発明品)の説明書は著作物であり、この説明書(似たものを含む)をつけなければ製品(発明品)は売れない、だから著作権は発明、アイデアを保護している。」「特許と同等マネを防ぐ効果。」という趣旨のことを言っていますが、果たしてどうなのでしょうか。
Aさんがa説明書を創作したとします。B企業が同じようなb説明書を創作し製品に添付した場合、a説明書の模倣でない創作であればb説明書にも著作権が発生したことになります。
Aさんは、b説明書がa説明書の著作権を侵害しているとするためには、b説明書がa説明書の模倣であることを証明しなければなりません。a説明書が広く公表されているなら可能性はありますが、知的所有権協会への著作権登録は未公表が前提ですから、ほとんど不可能なものです。
知的所有権協会のホームページには
さらに、「まねした、オリジナルだ」は裁判で争うわけですから、証明のための調査、裁判の準備など、大変な労力や費用が必要になります。
それでしたら、図面と明細書を書き(制限はないからどんどん書けばよい。)特許庁に出願料21000円で特許出願しておいた方が、完璧な著作権証明ができます。明細書と図面は1年6ヶ月後には公開(公表)され、文章と図面(著作物)の創作年月日及び内容は、100パーセント公的な証明となります。希望すれば公開(公表)は、1年6ヶ月待たなくとも行えます。証明のための調査も簡単、裁判も準備も簡単です。
但し、説明書による発明の保護の活用を全く否定するわけではありません。当然、製品の内容によっては説明書が著作物として有効な働きをすることがあるからです。
<「著作権登録しておくと「先使用権」や「防衛特許」になる」という主張について>
豊沢氏は、発明を著作権登録しておくと「日付が正確だから先使用権や防衛特許になる。」主張しています。
「先使用権」とは、その特許が出願される以前から一定の条件のもとにその特許出願に係る発明の実施をしている者又はその事業の準備をしている者は通常実施権(法定通常実施権)を有し、特許権者はその者に対しては、差止及び損害賠償の請求をできないとするものです。(特許法79条)
ここで問題になるのは、「事業の準備」とはどのような場合を差すのかということです。特許法の規定の上では明らかではありません。一般には、資金準備について折衝中とか設計図が仕上がっているというだけでは十分でないとされています。
少なくとも、工場の建設や機械・設備の工事や制作に着手したとか人員を雇とって宣伝を具体的にしているとか具体的に資金をつぎ込んでいるとかを行っていて、それらを廃棄させることがその者に多大な損害を与えてしまう、それは公平性に反すると言うような段階に達していなければ認められないものです。
豊沢氏がいうような著作権登録用紙に「単に準備していることを書いておけばよい」という程度のものでは、到底認められないものです。
「防衛特許」についての、豊沢氏のコメントが見つかりません。
一般的に特許出願においては,自社で出願するには及ばないが他社が出願し権利を取得したら困る場合に、その技術を公開することを目的に出願することをいいます。しかし、知的所有権協会への登録は秘密状態が保持されるので,このような効果は望めません。
おそらく、先に実施の準備をしていた証拠を作成することで,第三者が権利を取得しても先使用権が主張できる,イコール防衛特許ということなのでしょう。
<アメリカのプロパテント政策についての豊沢氏の誤った解釈>
豊沢氏は、著作権により発明やアイデアまでもが保護されるようになった理由の一つに、アメリカのプロパテント政策を盛んに上げています。アメリカの政策や法律が日本にも適用されるというのですから、まともなものでないことは察しがつきます。
豊沢氏は、レーガン大統領以来のアメリカのプロパテント政策を、「プロパテント政策(特許拡大政策)をたて、・・・・・更に程度は低いが、特許の何十倍も広い著作権を発明の中に入れて、知的所有権と称して、登録出願をすすめた。・・・・早く米国の知的所有権(著作権)政策を、まねねばならぬ。・・・さあ、貴方も早く新発明(著作権)の登録出願法をおぼえよう。」「その上、従来パテントといえば特許だけだったのに、その中に著作権を入れて、何十倍と権利を広め、どんな小さなアイデアでも著作権にして、高く売り付けるという政策である。・・・また、著作権は届でなしでは、誰の創作か不明だから、それを登録制にして権利の所在を明確にして外国に売り出した。」著作権を特許(パテント)の中に入れて、売り出す法律を、次々とつくった。つまり特許の中に著作権まで入れてしまったのである。その政策がレーガンのプロパテント政策・・・日本企業も・・新特許侵害によって、二千億円からの大金をアメリカに吸いとられた。」(著作権出願法P82等)と述べています。
これはアメリカの法律改正が日本でも適用されるといっているわけで、一般的、常識的にみてもまともなものではありません。
また、特許の中に著作権まで入れてしまった法律など、アメリカにおいては制定さてはいません。それらの根拠となる、アメリカの法律とその条文が殆ど紹介されていないのも著作権登録論の特徴です。
実際のアメリカの著作権登録は次のようになっています。
従前は、著作権者が著作物に適切な表示を付して発行し、その著作物を登録した場合にのみ、連邦著作権が認められていましたが、現在では、連邦著作権は、著作物の発行にかかわらず、著作物の創作と共に認められるようになっています。
アメリカの現在の著作権の登録は、連邦著作権局に所定の書類に20ドルの手数料を納付して行いますが、この登録をして初めて、連邦裁判所において侵害訴訟(著作物の発行から5年以内に登録が条件)を提起することができます。すなわち、アメリカにおいては連邦著作権局という公的機関への登録しておかなければ訴訟がふりになるからなのです。
知的所有権協会のような一民間団体による著作権登録業務などまかり通る余地がないというのがアメリカの著作権登録制度なのです。
連邦著作権局への著作権の登録申請は、毎日約7000件もあると言われています。日本の一日約3件とは大違いです。
また、アメリカにおいては、著作権はアイデアを表現したものを保護するものであって、アイデアそのものについては保護しないということは、法としてすでに古くから確立していますし、この考え方に変化はないのです。豊沢氏がお手本にするアメリカで、「著作権で発明・アイデアが保護される」などといっても誰も相手にしてくれません。豊沢氏を盲目的に信じる者=(儲)、それを助ける者が多数いる日本でしか通用しないものなのです。
アメリカのプロパテント政策
また、アメリカのプロパテント政策とは、1980年以来から強いアメリカの復活をめざした、特許を中心とした知的所有権重視の政策のことを指します。
それは、CAFCと呼ばれる特許専門の連邦高等裁判所の設置による、判例の改めと知的所有権の保護の根底からの洗い直し、コンピューター・ソフトウエアーおよびバイオによる微生物体に関する特許保護、偽装管理法の施行、半導体チップの連邦著作権局への登録、ITC(国際貿易委員会)の権限強化、方法特許の強化などを目玉とするものです。
それは、特許を中心とした著作権も含む知的所有権の強化ということであり、コンピュータープログラムおいては「特許(アルゴリズム)と著作権(プログラム)による二重保護制度の確立」であり、「特許の中に著作権を入れた」とか「小さなアイデアを著作権にして、高く売りつける政策」いうようなチンケなものではないのです。
「特許(アルゴリズム=技術的思想)と著作権(プログラム)による二重保護制度の確立」という考えも、考えてみると「特許(技術的思想)と著作権(明細書及び図面)」ということであり、なんら変わらないことがわかります 。
<コンピュータープログラムの保護についての>
豊沢氏の著作権登録論では、コンピューターのプログラムが著作権により保護されるようになったことをあげ、発明やアイデアが著作権により保護される理由にしている節があります。
コンピュータプログラムは、著作権法では著作物として保護されるようになっていますが、その保護の対象はプログラム言語による言語表現です。その背後にある同じアルゴリズム、原理に基づいて別のプログラムを創作することは可能であり、そこには別の著作物と著作権が発生するのです。
すなわち,コンピュータ・プログラムについては、アルゴリズム(問題を解く一連の手順や具体的な手続き=技術的思想=発明)は特許の保護対象とし、そのアルゴリズムに基づいてプログラム言語により表現したものは著作物として著作権の保護対象としているのです。アルゴリズムがおなじであっても、それをどのようにプログラム言語により表現するかは多様ですので、そこには複数の著作物(プログラム)が創作される可能性があるものなのです。
だから、コンピュータープログラムが著作権により保護されたからといって、発明やアイデアまでもが著作権の保護対象となることはないのです。
<矛盾の例>
著書?著作権登録ビジネスの127から128項には次のようなことが書かれています。
「どんなに、上手なセールスポイントの説明文を作っても、その言葉や内容を同業者がまねても、特許権でそれを防衛することは不可能である。著作権はどうかというと、発明に係わる表現、説明文、感情などすべてにわたって保護しているので、説明文をまねされたら権利侵害として、訴えることができる。」(この文書自体問題がありますが。)と言い、もう一方では「特許公報の文書を本に無断で載せて、裁判になり500万円損をした」という、自らの体験談を著作権登録ビジネスに関する著書で盛んに書いています。本書でも観点は違うが225項からそのことに触れています。
この豊沢氏の体験でいけば、特許公報に記載されている文書や図面は著作物ということになります。すでに、特許庁に公開公報として「著作権登録」してあるようなものですから、文章や図面をあらためて知的所有権協会に登録する必要がどこにあるというのでしょう。
逆に本書225項に述べている「特許公報は誰が使用してもよいのです。」という豊沢氏の意見なら、相手が「私どもの説明書はお宅の特許公報を見て作りました」といったら、著作権侵害とはならないはずです。
こうした、矛盾は豊沢氏の著作権登録ビジネスに関する著書においては多く見られます。その意味では、豊沢氏の知的所有権登録論=著作権登録論は、多くの矛盾の上に成り立っているといえます。
こうした矛盾の端々にちらついて見えるのは、何でもかんでも、なにがなんでも知的所有権協会への著作権登録へと誘導しようとする下心です。
<「工業所有権もやっぱり大切だ」と言う意味>
豊沢氏は著書の中で、「では、盗まれる創作、真似られる創作ができたときに、それを権利にするにはどうするかである。工業所有権(特許・意匠)にするか、著作権にするかである。一つの法律ですべてを保護することはできない。それぞれに長所もあれば短所もある。そこで工業所有権法でも著作権法でも、そのよいところをあますところなく利用して、保護を受ければよい。」「工業所有権はやっぱり大切だ」 (著作権の取り方生かし方P63)などと述べています。
発明を特許権のみならず、他の法律で保護できるようにしておくということは、一般論としては間違っていないし大切なことです。
しかし、豊沢氏の著書での上述の主張を、氏の著作権登録ビジネスと切り離して論じるのは正しくありません。どういうことかというと、”特許に出願して権利が取れる発明も、知的所有権協会に著作権登録しておきなさい”ということなのです。つまり、売れない特許にもならない発明だけでなく、特許になる発明をも登録=儲けの対象にしようとしているだけなのです。
特許出願すれば明細書、図面を特許庁に「著作権登録」してあるようなものですから、さらに民間団体に著作権登録する意味がどこにあるというのでしょう。
「また特許等を特許庁に出願した人は、内外のまねを防ぐため、全部著作権に登録すること。それが個人も国家をも救うことになる。」 (著作権出願法P90)、「発明の大小にかかわらず、まず金のかからない著作権に登録して自分の権利にしておく。次に事業化してもまちがいなく儲かるという見きわめがついたら、そこではじめて特許に出願すれば、絶対に発明貧乏になる恐れはない。」(著作権ビジネス96)と述べているように、言い方に惑わされず実体をみれば、発明は全て特許出願するしないにかかわらず、知的所有権協会に登録しておきなさい、ということなのです。
一番先に特許庁に出願書類を提出した人に特許を受ける権利が与えられる我が国の特許法のもとで、このようなことをいってよいのでしょうか。そこには当然、事業化への見極めがたったときには先に出願がされていたという恐れがあることも事実なのです。
このようなことを書いておくことにより、氏の著作権登録論が特許を軽視してないように錯覚させようという狙いも感じます。
また、特許軽視、詐欺商法などと攻撃されたときに、あるいは裁判になったときなどに、それらを交わすための記述ということも考えられます。
知的所有権協会は豊沢氏が創設した株式会社であり、実質的な主宰者である豊沢氏がその資金の運用などに絶対的な権限をもっている、一民間営利団体です。すなわち、協会に集まる金は豊沢氏のものといってもよいものなのです。
<保護対象の勝手な拡大>
豊沢氏は、トヨタ自動車が著作権侵害だとアメリカの企業にやられたプログラム侵害事件をとりあげて「これは著作権がアイデアを保護しているということである。著作権はこのように世界の先進国では、アイデアを保護している。だから、世界共通の著作権は、日本でもアイデアを保護する。」とか、「日本でも文化庁から出している『著作権登録の手引き』の中に『発明やアイデアの解説や図面等は著作物となり、著作権により保護されます。』書いてある。これもA会の『著作権はアイデアを保護しない』という論とは反対である。」と述べています。 (著作権に対する二大論争)
アイデアという意味について豊沢氏特有の拡大解釈的定義があると思いますが,「著作権は発明やアイデアを保護する」と思わせたい気持ちは痛切に伝わって来るものです。すなわちプログラムや解説書や図面等の保護から発明やアイデアの保護へと、著作権の保護対象を拡大していやり方です。これは、豊沢氏の著書の全体に流れるものですが、こうした記述に「著作権は発明、アイデアも保護する」と錯覚してしまう人が少なくないのです。
プログラムについて言えば、著作権が保護しているのは、プログラム言語で書かれた著作物であるところのプログラムそのものであって、そのプログラムを著作権者の許諾なしに模倣、改変した場合に著作権侵害、著作人格権侵害となるものなのです。著作権侵害となって結果としてそのプログラムを使用できなくなったとしても、それは著作物としてのプログラムが使用できなくなったのであって、そのプログラムのアイデア、発明の部分であるアルゴリズム等は著作権の保護の対象とはなっていないのです。
第3者がそのアルゴリズムに基づいて,別のオリジナルのプログラムを創作した場合には、それは著作権侵害とできないのです。すなわち、著作権によっては発明、アイデアは保護されていないからです。
一方そのアルゴリズムが特許権がとれているとなると,そのアルゴリズムに基づくどのようなプログラム著作物が創作されて使用されても全て特許権侵害となるのです。これが、発明=技術的思想が保護されるという意味なのです。
「『著作権登録の手引き』の中に『発明やアイデアの解説や図面等は著作物となり、著作権により保護されます。』書いてある。これもA会の『著作権はアイデアを保護しない』という論とは反対である。」という主張は,狡猾なすり替えの主張です。
解説書や図面は確かに著作物となりますが、著作権により保護されるのは解説書や図面そのものの複製であって,その著作物に書かれている発明やアイデアを実際に製造・販売・使用しても,その発明品等は解説書や図面そのものではなく著作物でもありませんから,著作物(図面や解説書)の複製とはならず著作権により権利侵害とはできないものなのです。
解説書や図面に書いてあるアイデアや発明までもが,著作権により保護されるとする、豊沢氏の主張の方が間違っているのです。と言うより、狡猾なすり替えで錯覚を起こさせるための言い回しのです。
図面については,例外があります。それは、建築物の設計図です。
建築物の設計図は,それ自体が著作物として複製から保護されるが、他人の設計図に従って建築著作物である建築物を完成させること,複製させることは著作権侵害(第2条1項15号ロ,第46条2号)となります。これは、建築物が美術著作物一般とは異なる法律上の取り扱いが必要であることから,特別の条項を設けて規定しているものです。
建築物以外の図面にはこの条項は適用されず、建築図面だけに適用されるものです。他の機械図面などに基づく機械の完成は著作権侵害とはできないのです。
参考に文化庁のホームページの文章をそのまま記載しておきます。
(2) 発明やアイデアの登録について
特許権や実用新案権の登録には時間も費用もかかるので,発明やアイデアを保護するため,比較的簡単な著作権の登録をしたいという相談がよくあります。ところが,発明やアイデアそのものは著作物ではありませんから,著作権による保護はありません。
しかし,発明やアイデアを解説した論文や図面等は著作物となりえますから,その場合は著作権により保護されることになります。
では,論文や図面等が著作物として保護されることによって,発明やアイデアまでもが保護されることになるのでしょうか。
答えはノーです。なぜなら,著作物の保護とは表現の保護ですから,表現された論文や図面そのものの保護であって,その内容までを保護するわけではないからです。
例えば,著作権者に無断で論文をコピーすることは原則として許されませんが,論文の中のアイデアを理解し,それに基づいて新たな著作物をつくることは可能であるということです。
つまり,著作権によって発明やアイデアを保護することはできないということです。
<知的所有権協会と知的所有権管理士・著作権登録指導員>
知的所有権登録論=著作権登録論の特徴と本質を示しているのが、知的所有権協会への著作権の登録とその登録推進員である知的所有権管理士の勧誘です。
詳細は後述しますが、文化庁、財団法人ソフトウェア情報センターという公的機関と肩を並べて、一営利民間団体で全く公的機関とは無縁の株式会社知的所有権協会(株式会社であること、公的な機関としての認定は受けていない一民間団体であることは殆どの場合記述されていない)を記述し、見る人にその名称からも公的認定を受けた機関であるかのように、思わせるようになっているのです。これは、豊沢氏のどの著書を見ても同じです。(最近は株式会社と記載したものも見られる。)
文化庁、財団法人法人ソフトウェア情報センターという公的機関への登録方法を書類もあげて、詳細に述べているは、そこへの登録をすすめているのではなく、より簡単で安い知的所有権協会への登録へと走らせるためのものでしかないのです。
そういう意味では、豊沢氏の著作権登録ビジネスは、錯覚的な商法の色合いの強いものです。
公的な著作権登録制度(証明制度といった方がよいかもしれません。)ができたら、知的所有権協会に登録したものはどうなるのでしょう?本当に公的な証明であるなら、公的な著作権登録制度ができたなら、何らかの保護政策がなされるものですが、国が奨励したものではありませんから、そのような可能性は全くないものと考えます。
この観点からみると、知的所有権協会への著作権登録が殆ど有効性のないものであることがよくわかります。
豊沢氏が「発明・アイデアを著作権に登録することにより保護できる、それが新特許である、だから著作権は大切だ」などと、自らの考えを主張し提唱することは結構なことだと考えます。その考えは正しい、正しくないと、大いに議論すればよいのですし、その議論を通じて著作権、工業所有権へのより深い認識が高まり広がるのは、大変結構なことであると思います。そうした中で、アメリカのような著作権登録制度への要求が広がるかもしれません。
ただ見逃せないのは、それが誤った理論の提唱に止まらず、人々に錯覚させることにより自らの元に金が集まるようにし、それに多数の良心的な人々を引き込み利用していることです。
知的所有権管理士
著作権登録の推進の中心になる者が、知的所有権管理士です。「知的所有権管理士に合格する本」(著者 豊沢豊雄)をテキストにして、通信試験により行います。
インターネットで著作権登録業を開設している人の肩書きは、殆ど知的所有権管理士の肩書きを表示しています。
「知的所有権登録論=著作権登録論」は、幼稚なごまかしの理論にとどまらず、登録用紙の発行、登録場所の創設、推進者の組織化まで実行したところに特徴があり、実体に即して見れば、その登録料が豊沢氏の元に集まるようにした狡猾な仕組と定義することができます。そこにこそ、この理論の目的、本質があるといえます。
著作権登録ビジネスのターゲット=登録させようとする発明と対象者
「小アイデアでもソフト発明でも、わずか2千円で権利になり高く売れるようになった。そのため、今まで捨てられていたアイデアは全部、権利になり換金できるようになった。」 (知的所有権協会の封筒)
「特許にならない捨てられているアイデア(程度が低くて拒絶されたアイデア・出願しても許可にならないとわかっている小アイデア)が無限にある。それを掬いあげて著作権にせよ、というのである。」「出願しても許可にならぬとわかっているアイデアは各人が四つや五つはもっている。――これを著作権にせよというのである。」(特許管理士会会報1998年2月号)
それどころか、前述したように特許出願した発明をも、何はともあれ知的所有権協会に著作権登録させようというものなのです。
すなわち、何万、何十万、何百万と湧き出て枯れることを知らない、大衆発明家の全ての発明、アイデアを根こそぎターゲットにしているのです。
その対象者の中心は、発明学会員や特許管理士をはじめ豊沢氏の影響を受け発明や勉学を志した人たち、豊沢氏のいうことなら信じて疑わない信奉者ともいえる広大な人たちなのです。
発明学会
会長の豊沢氏、事業部長の中本氏などが著作権登録を勧める書籍を出版していることから、多くの会員が著作権登録推進員になったり、発明の著作権登録を行って企業などに売り込みをかけるなどの事態が続いています。
今多くの企業が「知的所有権に登録済み」「著作権に登録済み」とする大衆発明家の売り込みに対して、「特許に出願して売り込むようにとの」対応をしてきています。発明の著作権登録は、企業と大衆発明家を遠ざけ大きな溝をつくるものであることは疑いのないものです。
大衆発明家の発明指導と企業の架け橋という使命を持つ発明学会が、こうした大衆発明家を惑わし企業を遠ざける有害な理論と運動に対しては毅然とした態度を示し,新たな発展を望むものです。
特許管理士会
特許管理士は1998年の総会以来、正規の役員会を排除した豊沢氏の私的運営のもとにあるという不幸な事態となっています。
豊沢氏は1997年に特許管理士を根こそぎ著作権登録推進者にするために,常任役員会名の嘘の決定をねつ造して「知的特許管理士制度」を導入しようとしました。これに対して,1998年9月5日の臨時役員会が開催され「著作権登録は誤っているので推進しない」「知的特許管理士の導入は行わない」「株式会社知的所有権協会とは関係ないし事務所を移転する」等の決定を圧倒的多数で決定したのでした。
ところが豊沢氏と同調者はその後,役員会を排除して豊沢氏が勝手に会長、事務(局)長を名乗り、同調者を事務局員にして、完全な私物運営を行うという事態が続いています。
そうして、次に示すように会員を著作権登録推進者にするための必要な働きかけが勧められています。
1999年7月18日に開催する「知的所有権管理士ー日合格セミナー」への参加を求める、特許管理士への「特許管理士に副音の急報!」という通達は次のような内容となっています。
「東久邇記念賞??を??特許管理士10年連続。または短期でも会社や団体で特許管理士要請につくした方々に贈呈たい??絶好のチャンスですから希望者はハガキで申し込んで下さい。」「最近大学や専門学校で、「??大学で??特許管理士養成クラブをつくるところが9校にも及び、まだまだふえています。??」「??大学には特許や著作権を、教える人が、いないので非常勤講師の依頼があります。??講師になってもよい人は??ハガキで申し出て下さい。」「国会の知的所有権振興議員連盟から、特許管理士で知的所有権管理士に合格している人の名前を知らせ??との申し出がありました。??大企業20数社からもあります。??(知的所有権管理士)合格者でさしつかえない人は??ハガキで申し込んで下さい。??」「そこで、知的所有権管理士一日合格セミナーを開くことになりました。」「受講者は、知的所有権管理士に合格する本を予習しておくとよい」
以上のような内容となっています。 特許管理士を知的所有権管理士(著作権登録推進者)にしようとする意図が、露骨になってきていると感じます。
また、1999年6月の特許管理士試験に「安価な著作権に登録する」を正解とする、「社内での発明に対して、特許出願すべきか、金のかからない著作権に登録すべきか、中小企業の特許課長として判断せよ」という問題が出題されています。(詳細は sikenクリック)
「知的所有権(著作権)」登録願」(著作権登録用紙)には、一般紹介者として特許管理士会の名称が左隅に印刷されるています。
私自身1998年にはと特許管理士会の役員をしていました。現在は会を退会しています。
また、2000年6月号の特許管理士会会報において、「特許管理士はベンチャービジネスの指導者になれ」と鼓舞し,その内容の4番目に「米国への著作権登録」を新たに提唱しています。豊沢氏が考えそうなことです。
特許管理士で知的所有権管理士となっている人数は,1991年10月号特許管理士会報によると351名、2000年6月号特許管理士会会報での豊沢氏の「特許管理士会に専門グループをつくろう」に「また特許管理士で知的所有権管理士を受験して合格したものが今年91名もいる。」という内容から、知的所有権管理士になっている特許管理士は1千名を有に越えているのではないかと推測されます。
特許管理士会は40年の歴史を持ち、多くの特許マンを育て,企業からも有益なもんとして高く評価されてきました。本来の姿に戻り発展することを切望せずにはいられません。
登録場所
著作権登録の登録場所は、豊沢氏が創設し主宰し全てが思い通りになる、公的機関とは全く無縁の一営利団体である株式会社知的所有権協会(社長 井上睦巳)(1999年9月現在)です。それは、売れない、換金されない、特許にはならない小アイデア・小発明が何億、何十億、何百億という金となって豊沢氏の元に集って行くことを意味しているのです。
ここに売れない換金されない発明、更に売れる発明をも金儲けのターゲットにした、巧妙狡猾な豊沢氏の著作権登録ビジネスの本質があるのです。
そのことは、豊沢氏の著書を読んだ人がどこに登録しているか実際の数字にあらわれています。
知的所有権協会への登録は10万件を有に越え、更に15万件を越え20万件(1999年末頃)に迫っているとも言われています。ところが、これに対して文化庁への著作権登録は次の統計が示すように、わずかに増えたことがあったが、全体では増えていないのです。
H1 H2 H3 H4 H5 H6 H7 H8 H9 H10
文化庁への登録件数 359 270 294 239 331 343 487 517 299 未集計
プログラム登録件数 581 573 553 600 602 572 532 562 505 322
一日たったの3件程度です。アメリカの連邦著作権局への著作権登録が一日7000件にも上るといわれるのと比べたら話になりません。
本当に日本国民の創作意欲を盛んにし、創作された著作物の保護をしたいと本当に願うなら、アメリカのような公的な著作権登録制度の実現のために力を尽くすというのが本筋だと思います。豊沢氏はそうしたことを提唱したり呼びかけるのではなく、日本の著作権登録制度?の弱点ともいえる部分を逆に利用して、自分の元にその登録料が集まる仕組みを考えつき、実行したと考えることができます。
文化庁への登録を盛んに言い出しそのセミナーなどを行っていますが、知的所有権協会への小発明の登録という本質は何ら変わってはいないのです。後述するように、むしろ新手口で著作権登録指導員・推進員の募集活動を強めているのです。
また、著書などで文化庁への著作権登録の方法を詳細に述べているのは、文化庁への登録は普通の人ではとても大変で難しいと思わせること。「知的所有権協会が証明することになった。」と、知的所有権協会が文化庁などに変わって、安く簡単に著作権登録をする公的機関であるかのような、巧妙な言い回し方をして、知的所有権協会の著作権登録へと抵抗なく心が向くようにするためのものなのです。「文化庁への著作権登録の仕方セミナー」は、この延長線上にあるものだと考えてよいと思います。
文化庁への登録を持ち出すの、知的所有権協会の実体を覆い隠し、公的機関と錯覚させて協会への著作権登録へと読者を向けて行くためのものとのいえます。その意味では、錯覚商法であり、見方によっては詐欺的という見方も成り立つようにも思えます。
知的所有権協会は公的機関とは全く関係のない一営利団体であり、豊沢氏を実質的なとオーナーとする単なる株式会社です。ですから、豊沢氏の理論と実体から言えば、著作権登録ビジネスは誰でもが登録場所を決めて登録料を稼げるものなのです。悪徳業者が大喜びで参入する新商売ともなりうるものなのです。このような、法的権利を証明するとする登録業が法的規制もない状態で成り立つのでしょうか、大変疑問です。
というより、著作権登録ビジネスそのものが悪徳商法といえますので、それを行う団体は○○業者ということになるのでしょうか。
株式会社知的所有権協会の事務所は,特許管理士会,東久邇記念の会などの住所と同じです。
株式会社知的所有権協会への著作権の登録の問題点
<効果>
著作物の複製ではない発明品の製造・販売を著作権侵害とはできないし、「協会」に登録した著作物は秘密状態にあるわけですから、発明品に添付された説明書を同じだからといって著作権侵害とはできないのです。そこには同じ表現内容の別の著作物が存在するだけなのです。
「協会」へ登録しただけでは公知状態ではないのですから、他人が後で特許庁に出願したらどうにもなりません。その特許出願が盗用されての場合でも、それを証明する手だてはないと言ってよいと思いのです。
<認証行為>
登録証に郵便局の日付印を押し印したものの原本を著作者が持ち、謄本を「協会」が保管しておいて、裁判などにおいて保管したある謄本を提出し、原本が改竄などされていないことを証明するというものです。
これは、公証人役場が行う認証と似ていますが、国の指定もうけていない公的機関でもない単なる営利一民間団体が行う認証行為らしきものが、証拠性、証明性があるとして通用するのでしょうか、疑問のあるところです。
また、裁判所に提出する書類を業として作成し保管している?司法書士法に抵触する恐れはないのでしょうか?
いずれにしても、誰でもが参入でき、わけの分からない一民間団体のおこなう業とした証拠提出行為を裁判所が認めたり、それを採用するかは疑問のあるところですし、裁判においては、当然相手方からそれの証拠能力性、「知的所有権協会」の信頼性、「知的所有権登録論=著作権登録論」の矛盾と実体など、厳しく追及され、その本質と実態が逆に暴露されてしまい、窮地に立たされるのは目に見えています。
裁判所が協会の登録証を証拠採用しない場合には、詐欺罪さえ成立する可能性もあるのです。
<存在事実証明書作成行為>
行政書士法第1条の2は(行政書士は、他人の依頼を受け報酬を得て、官公署に提出する書類その他権利義務又事実証明に関する書類を作成することを業とする。)と規定し、第19条では(行政書士でない者は、業として第1条の2に規定する業務を行うことができない。)と規定しています。
「協会」の登録証は事実証明と見ることもでき、これを業としているわけですから、 「・・・・他権利義務又事実証明に関する書類を作成することを業とする。」という規定に抵触していると考えられる、行政書士法違反の疑いの色濃いものでもあります。
「著作権の取り方生かし方206ページ」では、「?著作権(知的所有権)登録指導員???文化庁と知的所有権協会への登録願書の指導と代行業を行なう。現在でも月収20万円くらいはあるという。?プログラム登録指導員???ソフト情報センターへの登録出願。プログラム登録出願の代行等、特許における弁理士のような仕事。一件代行、5万円という。」と、行政書士法違反行為を公然と奨励しているとも、受け止められることも言っているのです。
<信頼性>
知的所有権協会に保管してある謄本(コピー)により原本が改竄されていないことを証明する、というのですが次のような問題があります。
改竄した原本をコピーして謄本を差し替えることはやろうと思えば十分に可能です。法的に全く規制されていない、どのような人物がどのように管理しているかもわからない、職員等による謄本の差し替えも十分に可能である。このような問題をもつ民間団体の行う認証的行為が、信頼性があるのか、証拠性があるのか大変疑問なところです。
そして、法的な証明が得られるとする、法律に基づかない民間団体による法的証明行為ともいえるものは、公序良俗に反しているのではないでしょうか。
<民法第90条>
何ら法的規制も受けない正体不明の民間団体による著作権証明行為が公序良俗に反するとされた場合、公序良俗に反するような行為は法律の保護を受けることができないとされている民法第90条に抵触するのではないかという問題があります。
90条に抵触するとなると、裁判で証拠として採用されない可能性があると思います。裁判で証拠として採用されない場合には、詐欺罪が成立する可能性も考えられます。
<悪徳業者が大喜びで参入する著作権登録業と知的所有権協会の著作権登録業は同じもの>
知的所権協会は株式会社であり、国の特別の指定を受けた機関でもありません。そこが行う「著作権登録業」は、誰でもがそれらしい名を乗り「著作権登録すれば発明が権利になる」「郵便局の
日付印は最も信頼できる公的な証明」といって、「著作権登録」業務を行い登録料で利益を得ることができるものです。これは悪徳業者が大衆発明家、中小企業をターゲットにして大喜びで参入するのを誘発しするものなのです。
実際、悪徳業者にあっちこっちで多額の支払いをしたという、被害が多数発生しているのです。悪徳業者が悪徳業者を呼んでいるのです。多くは1通、一万円前後で行っていますが、金額が少ないから悪徳ではないと言うことではありません。
例えば最悪的シナリオを一つを描いてみると、エセ宗教団体が資金集めと信者獲得の手段として、「知的特許管理士会」というような偽装団体をでっち上げ、信者を「知的特許管理士」というような会員にしたてて名刺をもたせ、セミナーなどを果敢に開催する。知的所有権協会より安い1500円の登録料で「著作権登録」をすすめ、使命感に燃えた「知的特許管理士」を増やし、結びつきや信頼感を強め信者へと洗脳して行く。優れたアイデアや発明は盗用してダミーをつかって特許などに出願して行く。その理論的後ろ盾が豊沢氏の知的所有権登録論=著作権登録論ということになります。
このような、悪徳、悪意な商売や行為を増殖するような理論と運動が、まともなものとは考え難いものです。
知的所有権協会が行う著作権登録(郵便局の日付印)は良くて、他の団体や悪徳業者が行う著作権登録(郵便局の日付印)は信頼できないなどという理屈は成り立たないのです。どちらが行っても実体は同じものなのです。
そもそも、権利に関する証明行為を業とする行為を、法的規制も国の認可もなしに一営利民間団体が行うこと自体が怪しげなことなのです。
登録推進者の組織化
理論を提唱して登録場所を作るだけでは、金は簡単に集まらない。そこで、発明の著作権登録を進める運動員をいろいろな名称を与えて登録させる。その中心に特許管理士(会員4千?5千)を据えているのです。実際に著作権登録指導員、知的所有権管理士(知的所有権協会の試験に合格し登録したもの)の多くは特許管理士なのです(豊沢氏は知的所有権管理士の半数は特許管理士といっている)。平成6年2月1日で、知的所有権管理士は800名を超えたと、当時の協会の社長から手紙をもらいました。それから5年たちました、数千、万に届いているのでしょうか。
特許管理士会の実質的な実権を握ってきた豊沢氏は1996年から1997年にかけて、常任役員会、役員会に図ることなく「知的所有権管理士(著作権)試験合格者には中級特許管理士資格を」「著作権の試験の合格者には『知的特許管理士』の資格を」と会報で流し、それらを実行しようとしました。いずれも特許管理士を根こそぎ著作権登録推進者にしてしまうためのものといえます。これらは、幹事の猛反対にあい実施することができませんでした。
こうした、著作権登録反対する幹事会の存在がじゃまになった豊沢氏は、財政、会員名簿、事務局員を握っていることを利用して、幹事を排除し規約を投げ捨て特許管理士会を私物するという暴挙に出たのです。この私物状態は今日でも続いています。
豊沢氏は、「特許管理士会は、原点に帰って、もう一度、立ち上がって、日本の知的財産を主張し、今まで特許にならなかったので見捨てられていた、アイデアをすべて著作権にして財産化し、国家を再び繁栄させるべきである。」「著作権の試験を実施して合格者には”知的特許管理士”の資格をあたえる。」 (管理士会会報1998/2月号)と鼓舞しているのですが、「特許にならなかったので見捨てられていアイデア」が、どうして「国家を再び繁栄させる」ものになるか、おかしな理論です。
12月9日に郵送されてきた管理士会封筒の郵便物には、知的所有権協会の宣伝物が多数入れら、その中に「月収50万円のサイドビジネス――著作権なら文化庁に出しても3千円で権利がとれる――」と名打った「知的所有権管理士試験申込書と一体となった知的所有権・管理士受験のすすめ」なるものが同封されてきました。
これは、文化庁という官公署にへの書類作成を業として行うことを提唱しているわけで、明白な行政書士法違反(行政書士法第19条)という犯罪行為に管理士や発明家を駆り立てるものです。
特許管理士への攻勢は、知的所有権管理士、著作権登録指導員、一億発明家運動指導員、特許管理士会会長顧問兼教諭などいろいろな資格?への勧誘というかたちで行われています。これらの実体は著作権登録指導員です。よく、インターネットの著作権登録業者の自己紹介や名刺には、これらの殆どの資格取得者であることが記載されているのをよく見ます。
特許管理士こそ著作権登録の最大の被害者なのです。
特許管理士会の会員の殆どは,特許のことが勉強したい、特許実務の実力を磨きたい、能力を証明する証がほしい、と願う善良な人たちです。一にも早くこうした会員の願いに真っ正面から応える,組織になってほしいと切望するものです。
皇族の利用
最近の動きの特徴は、皇族の名を拝した「東久邇記念の会」(会長 豊沢豊男)を全面にだして、「一億総発明家運動指導員=著作権登録指導員」を提唱し進めていることです。
昨年(1998)12月9日郵送の封筒には、「菊の紋章の入った『一億総発明家運動指導員委任状』」「一億総発明家運動指導員への勧誘:東久邇宮記念の会入会申込書」「名著無料進呈のビラ」「知的所有権・著作権登録指導員資格申請書」「特許管理士会会長顧問兼教諭申請願」「知的所有権・管理士試験申込書」「その他幹事等への手紙が三通」が入っていました。
これら送られてきたものを見ると、「東久邇記念の会」と「一億総発明家運動指導員」は、その全てが著作権登録ビジネスであることが分かります。
*それぞれの配布物の内容は次のようなものです。
「一億総発明家運動指導員への勧誘:記念の会入会申込書」 入会者の特典として「おもしろ財産づくり知的所有権のはなし、著作権登録願書のかき方、著作権登録用紙」が無料でもらえる。
東久邇宮記念賞??30人以上考える人をつくった方にもこの賞を進呈
東久邇宮記念賞の純金の指輪は当時、殿下ご使用のものと同じであり、それに「菊の御紋東久邇宮記念賞」と刻印してあるのは、高貴な方に対する国民感情のネーミングである。
「知的所有権・著作権登録指導員資格申請書」
指導員登録後、本人を含めて5件の登録を出せば指導員の認定書を送る。更に30件の登録をすすめたものには、勲章につぐ賞といわれる東久邇宮記念賞(純金指輪つき)を教授され、その功績をたたえられる。
入会者が出た場合には3000円進呈する。
「名著無料進呈のビラ」
知的所有権の話、著作権登録願書の書き方、発明指導者の成功ノウハウ、著作権で億を掴む方法、著作権誤解者への教え、一億総発明運動、魔法の純金指輪・贈呈、著作権登録用紙2部、プログラムの登録出願法、ほめ言葉研究法
これらは、全て著作権登録で、特許出願のものはありません。
「特許管理士会会長顧問兼教諭申請願」
著作権登録指導員(只今申請中含む)、知的所有権管理士(試験に申込中)、東久邇記念の会への入会と指導員の申請、のいずれか一つの資格を持っている者(申込中の者含む)。
以上、どうみても「一億総発明家運動」の東久邇宮殿下の思想を、自分の元に金が集まる著作権登録運動に利用しているとしか思えないのものです。
勲章につぐ賞?である皇族の名を拝した「魔法の指輪」と賞状ほしさから、何でもよいから文書や絵を書いて知的所有権協会に30件以上著作権登録する。すると純金指輪と賞状がもらえる、おまけに記念にと妻や子、親戚等に与えるための「内は銀、外は金」の同じ刻印の指輪を一個3千円でいくつでも売るというのです。
適当なものを書いておいて30件の著作権登録を知的所有権協会におこなえば貰えるのです。当然、どこかの本や特許公報をみて30件の私のアイデアだといって、協会に登録するための書類(コピーしたものを張り付ければよい)を作る人も出てくれば、つくってあげる商売も成り立ちます。1件1万円で30万円、5千円で15万円です。なるほど、これなら知的所有権協会のいう「月50万円のサイドビジネス」というのもまんざら嘘ではないようです。
協会に登録しても審査されるわけでも、公表されるわけでもなく秘密状態なのです。「拒絶になった発明を登録せよと言うのである」という豊沢氏の言葉が「他人の拒絶になった発明を??」とさえ聞こえてきます。
これも悪徳業者が大喜びして参入する可能性が大のものなのです。
特許管理士会、知的所有権協会、「東久邇記念の会」は 東京都新宿区百人町1?10?7 一番街ビル 電話03?3360?5644 という同じ部屋にあり、豊沢氏(いずれの会も豊沢氏が会長か実施的なオーナー)の指示のもと同じスタッフにより運営されています。また、引用した著書やビラ、申込書は知的所有権協会に申し込むと手に入ります。
(富樫康明氏)
「知的所有権ビジネス『完全ガイド』」 富樫康明著 評言社 発明学会会長 豊沢豊雄推薦、(株)知的所有権協会代表取締役 井上睦推薦 1999年(平成11年)6月1日 初版 2400円・・・・という本が出版されています。
富樫しは、おそらく今後の著作権登録ビジネス推進の理論的支柱になる人物と位置づけられているのではと感じます。
P243?P244の記述は次のようになっています。(全文)
「著作権は民間登録でなければ保護できない」
「基本的な著作権に対する考え方は、文化庁や特定官庁などが独占管理するものではなく、あくまでも著作権とは著作者の権利なのであり、著作者の権利は法的に保護されています。
著作権は民間及び個人の権利であり、一点集中管理にはおおきな問題が生じます。
著作権の市場の活性化及び著作権の普及に関しては、不足している民間著作権管理団体を、むしろ多く増やして、複数で自由競争すべきです。
一点集中管理は、現在のビジネス実体に合わず、著作者本人と使用条件について交渉できなくなってしまう恐れもあります。
一点集中管理は『言論の自由』、『表現の自由』を奪い取ってしまいます。従って、現在の著作権の実状としては、民間及び個人が中心となっている著作権は、民間登録・民間証明・民間契約によるものでなければ、保護がむずかしいといえます。
以上のことから、著作権と工業所有権の区別を『創作の内容の保護』と『創作の表現の保護』とに分ける考え方が正しいといえます。なお、著作権も工業所有権も必ずしも万能ではなく、著作権と工業所有権の大きな違いは、あまりにも特許をとるまでの年数がかかりすぎ、高額の費用がかかりすぎ、企業秘密が守れないという点にあります。
そして、工業所有権だけでは表現の部分がまるっきり不足してしまい、どんなすばらしいアイデアであっても、著作権による表現がなければ売れないのです。工業所有権と著作権の表裏一体の意味はここにあるのです。」
*皆さんはどのように思ったでしょうか。富樫氏と公開討論をやってみたいものです。
いずれにしても、著作物の登録証明(正確には、著作物の創作日の証明)を、誰もが自由かってにできる商売(金儲け)にしろといっているだけです。本性むき出しです。「『言論の自由』、『表現の自由』を奪い取って」という記述にいたっては、議論にもあたいしない的外れな主張です。このようなデタラメな主張をしてまで「株式会社知的所有権協会」への著作権登録を最もらしく見せようとしているところにも、富樫氏らがすすめる著作権登録のいかがわしさが見えてきます。
発明の著作権登録を推進している皆さん
実はそういう私も、最初は豊沢氏のこの理論に無条件に感動していた一人です。
でも、豊沢氏の著書を何回も読み返し、日本の著作権法やアメリカのプロパテント政策や著作権法について勉強し、意見を聴いてみると、これが正しくない理論であることが分かってきました。同時に、豊沢氏が全ての実権を握って運営されてきた特許管理士会の内部(役員会)から 豊沢氏のやっていることに直面することとなり、著作権登録の本当の狙いや豊沢氏の人間性に突き当たりました。
どうか豊沢氏の著書のみに頼らず、これを機会に、著作権なり特許についての一つでも多くの著書を読み勉強し、多数の人と意見を交換し、より広く深い著作権、特許についての知識を身につけてご活躍下さいますようお願いします。
「著作権登録します」などの表示をインターネットなどでおこなっていると、証拠となり、ことの進展によっては不本意なことに遭遇する可能性さえあるのではと考えるものです。
著作権登録ビジネスの実体や、本質、その理論の誤りについて、いずれ世間が広く知るようになります。それは、著作権や発明に対する正し知識や認識が広がって行くことを示してもいます。その意味では、人々の感心を高め正しい知識を広めるよい機会であると思います。
*豊沢氏の知的所有権登録論=著作権登録論は研究の材料としては、おもしろいものがあります。特許法、著作権法などと比べながら研究して、より特許法、著作権法とその活用についての理解を深める契機になればと思います。
メールはこちらにお願いします mailto:pote@yin.or.jp