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鳳凰三山 この山名について従来から色々論争がありました。 甲斐国志(1814年)によると、鳳凰山は地蔵ヶ岳のみとする1山説。 徳川末期の「甲斐国絵図」による、地蔵ヶ岳と薬師、観音を鳳凰山とする2山説。 明治43年(1910年)5万分の1地形図韮崎が使用され、地蔵、観音、薬師を 併せて鳳凰山とする3山説。地域や時代の流れによって違うようです。 現在は鳳凰三山、鳳凰山として収まっています。 (1997年2月8日 韮崎市誌参照) 鳳凰三山、山名の由来 薬師岳、観音岳、地蔵岳が鳳凰三山と呼ばれている伝説について。 鳳凰三山は奈良時代から平安初期にかけて、修験者によって開山されたとみられ、 南アルプスの中では最も早くから人が登った山であった。 奈良時代に奈良法皇(孝謙女帝)が登り、山の名も法皇山と名づけられた。 後に仏教の霊鳥である鳳凰にちなんで鳳凰山と呼ばれるようになった。 現在の南御室小屋や、無くなった北御室小屋は、修験者の道場の跡地と みられている。仏教的、修験道的、あるいは自然信仰的な地名として、 鳳凰、地蔵、観音、薬師、砂払、農牛、御座石、夜叉神、辻、御室、 賽の河原、千頭星、御所山などがある。 山を歩いていて、砂地に埋まっていたお賽銭や、岩場の陰に強風を避けて 静かにたたずんでいる石仏や、薬師岳小屋周辺の岩場にある、修験者が 雨水を貯めるために掘ったとされる穴を見つけていくのも、面白いかも しれません。 女性の登山によって広く山名が知られたのは、珍しいことですね。 賽の河原の地蔵 昔の行者跡地である地蔵岳の賽の河原のお地蔵様は、 1体借りて帰り枕元に置いておくと、子が授かると言われ、 実現したら2体にして返すという事が、つい最近まで行われて いました。 地蔵岳を地蔵菩薩に見立てた民間信仰のようです。 数年前、薬師小屋の荷揚げのヘリに、お地蔵さんも乗ってました。 |