自然な不自然...(超自我さん、まあまあ...2)

 わぁー、思いがけない反応です。わあ、難しそうな質問です。実は午後3時頃には皆さんの書き込み見たんですが、逃げてました。無意識を探るコトや超自我を眺めるコトは自分の認めたくないコトを見ようとするコトなので思わず逃避してしまいがちです。少し踏ん張ってみます。そして、今からいうことが当たっていたとしても皆さんの超自我は激しい拒否反応を示すかもしれません。あるいは強い不快感があるかもしれません。超自我さんをなだめながら眺めてください。ああ、眠気が...。コレも拒否反応なのかな。

 無意識は多分原始的な心(脳?)に近いのではないかと思います。本能的な衝動とかかな。楽な方に、気持ちいい方に向かう快感原則に従順です。だから無意識からは「死」は出てこないハズなんです、多分。あんまり自信ありませんけど。
 一方、超自我は道徳的で潔癖症気味。例外や情状酌量は認めてくれません。立派であれ、真面目であれ、礼儀正しくあれ、男らしく、女らしくあれ...。
 それで自我は折り合いをつけるために頑張ります。両者が納得出来る場所を探します。心のままにいる(生きる)ことと理想的な人間になること。折衷案が見つからない時、両者は自我を攻撃するのかもしれません。心のままが許されないなら存在しない方がいい。理想に近づけないなら消えてしまえ。その真ん中が「無としての死」なのかな。難しいです。あんまりハッキリしません。

 えっと別の考え方があります。超自我は直接無意識を検閲することがあります。検閲をパスしない感覚は意識されることはありません。強く深く隠されます。でも意識されたい感覚は小技を使ってきます。転嫁とか置き換えとかね。それでもダメな場合、抑圧された衝動を意識しないために反対の感情を強調することがあります。心のままに生きることが許されないなら反対の「死んじゃおう」的感覚が反動として生まれてくる。へそ曲がりな「生きちゃおう」ですかね。

 でもあんまりわかんないです。今ネットで見て回ったんですけど、無意識の中に死に対する情動もあるという説を見つけて少々動揺気味です。

また考えてみます。みなさんも考えてみてください。重くならない程度にね。眠気が...。寝ますぞ。

補足:無意識とイド(エス)について誤りがあったようです。無意識とイドは同一ではありません。また勉強です。それから無意識にはリビドー(エロス的エネルギー)と共に「死にたいする衝動」もあるみたいです。また勉強です。

戻る

ホーム