そんな所では見つからないよ

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「そんな所では見つからないよ」
と彼女はいった。
消え入りそうで、無表情な声だった。
そんなことわかってるさ、充分。
答える代わりに少しの沈黙を返しておいた。

 相変もわらず狭苦しい部屋に電話機と二人ぼっち。
平日休むことの多いこの仕事。もともと単独行動は気楽で好きだったが。
空っぽだった。何もなかった。何か欲しかった。わからなかった。
そしてその日もいつもの様に打ちひしがれていた。

 学生時代に培った中途半端な過信が僕を苦しめていた。
---何か出来るかも知れない。何か変えられるかも知れない。---
そんな思い上がりを引きずりながら、でも間違いも奇跡も起こるはずもなく。
ライフワークとしての音楽?---そんな都合のいい言い訳をでっち上げていた。
気持ちのレベルも、技術のレベルも、方向性までバラバラな“バンド”なんて
モノを、幾つ掛け持ちしても埋め合わることは出来なかった“何か”。
取りあえず継続させるためだけの妥協点は、ただ消耗するだけで...。
上手いベーシストに?バンドマンに?ミュージシャンて奴に?
一体何に成りたいのかさえ不確かで、くだらないノイズを生産するだけ
の時間の無駄使い。
「自分の音を追求するんだ。」なんてカッコつけてみた。バンドを全部
やめた。マックを買った。パフォーマーって有名な音楽ソフトも買った。
機材も少しずつ揃えた。そいつらさえ有れば自分の音が見つかる筈だった。
キーボードの前に座る。シンプルな8ビートを流す。取りあえずのベース
ライン。それでお終い。魔法は起きない。何も始まらない。何の感動もない。
自分の音なんて何もありはしなかった。何も出てきやしなかった。焦った。
そして流されていった。
 ニフティーをROMしてみたり、フリーのゲームにハマってみたり。
そして、また誰からともわからない電話を待つ不毛な遊びにうつつを抜かし
ていた。

 その日3件目の店で、3度目の数千円で、また狭い部屋をあてがわれる。
次の日も休みだったので、少し無茶してみる。禁断のハシゴTC。
平日の深夜、客も少ないかわり鳴りもわるい。ましてやアポして会える
なんて確率は無限小にさえ思えた。
 第一の大義名分---ただ行為に及びたいという衝動---は既にその意味を
失っている。下腹部の満タン感は残ってはいるが、今日の何度かの裏切りや
軽蔑や嘲笑で、戦意はとうの昔に喪失していた。僕の陳腐な武器は乾いた
カウパーを微かに先っちょに残したまま、パンツに中で縮み上がっている。
 シッポを丸めた負け犬は、それでもまだ何かを求め、或いは
ネグラに逃げ帰るための見栄えのいい理由を、最後のトドメを欲しがった。

 小さな声の彼女にどんな見え透いた言葉を語ったのだろうか。
欲望と詩情が混じった弱気な告白。
「そんな所では見つからないよ」
と彼女はいった。
少しの沈黙...。誰に向かって言ったのか、やけに力んで言った。
「わかってるさ、そんなこと。」
「でも欲しいんだ。ここでは見つからない何かが。」
そしていつもの様に、いや、いつもよりも淡々と欲望の部分の説明を始めた。
いかれた詩情に騙されて、ノコノコと会いに来たらどんなことになるか
誤解の無いように、しかも注意深く。
--もうこれ以上騙したくはない、嫌な気持ちにさせたくはない、今の僕以上には--
それがコイツの最大の弱点、そして残された最後の寂しい砦。
「ひとつだけお願いがあるんだ。」
少し投げやりに切り出した。
もしや...の期待がいくらかでもあれば、ましな殺し文句も思いついたかも
しれないが...。何についても無表情で無感動なその受け答え。いつ切られても
おかしくない感じ。なのに決して切ることはないその不思議に、勝ち目のない
賭けを持ちかけてみた。
「ただ“約束”をして欲しいんだ。出てこなくていいし、出てこない方が君の
為だけど。」
「もっともらしい場所を決めて、それっぽい君の身なりの特徴なんかを
教えてくれればいいんだ。嘘で構わないから。」
「そうすれば僕はこの狭苦しい部屋から抜け出せる。僕を救ってくれないかい?」
「だって...、私...、かわいくないよ。」
「そんなの...、...そんなの関係ないよ...。約束だけなんだから。」
「...う?...ン...」
小さな声は更に小さくなり、答えがイエスなのかノーなのかさえ判別不能だ。
「さあ場所を決めてよ、適当に思いつくところでいいからさ。」
 “約束”を取り付けるだけの賭けなら勝ち目はある。彼女にリスクは既に無く
僕の願望の7〜8割はそれで満たされる。
無事に形ばかりの約束を取り付けた。その日一番のすがすがしい気分で
その店を出ることが出来た。

 そんな気分なもんで無駄足とわかっていながら約束の場所に行ってみる。
こんな僕のために口先だけでも約束してくれた彼女に感謝し、彼女の夢見が
よくなるようにと...。ほんの1%以下位の期待はあったけれども、タバコを
2〜3本もみ消すうちに、そんなもん消えて無くなるだろう。でもただ
行きたかった。

 2本目の希望をふかしていると、人の気配...。助手席側をノックする音。
のぞき込む女の子と目が合った。ドアのロックを解除しウインドーを下げる。
「ホントに来たんだね。」
と彼女。
「きっ君こそ...。」
と僕。
ドギマギしながら...、それでも助手席を勧めてみる。
ほんの数ミリのためらいをすぐに払いのけ、彼女は助手席に滑り込んできた。
一日中、電話機の音と光に集中して、疲れているのに緊張が解けないでいる
僕の灰色の小さな脳細胞は、この現実を理解し説明しようとその時一斉に
活動を始めた。

 しかしだ。どう考えても理解できない。思考回路は再び停止してしまった。
さて僕はしばらく途方に暮れたままハンドルを握っていた。どこに行く当ても
なく車を走らせる。いや当てならある。この期に及んであれほど注意深く説明
しておきながら、自分でそれを認められない。なんてこった。僕はいかれた
ロマンチストを気取ったかも知れないが、欲望に満ちた獣でもあるとも宣言した
筈なのに...。車に乗ったが最後、後の事は責任持てないと言ったのに...。
ことによるとまだ誤解しているのかも...。いや単純にO.Kってこと?
わからん。わからん。わからん!
 彼女といえば、そんなこと露知らず、虚ろに前方を見ながらポツリポツリと
何か呟いている。
「私ね、親の顔を知らないの。」
「へー。」
「義理の父の所にいたんだけど、そこを飛び出してね。今は友達のところに
転がり込んでる。」
「ふーん。そうなんだ。」
「早く一人暮らしをしたい。」
「うん。」
「でも先立つものが...。働かなきゃ...。」
「ほー。」
そんな問わず語りの身の上話にしばし聞き入る。真偽の程は...定かではない。
少なくとも、“エンコウ”などという言葉も行為も存在していなかった当時に
嘘をついたり同情を求めたりするメリットは何も無い筈だった。思考判断能力を
停止していた僕の脳味噌には彼女の言葉は取り立てて感慨もなく響く。ただ
自分の息苦しさがあまりにもチッポケに思われただけだった。
 彼女には表情が無い。笑うこともまたない。ただ遠くを、近寄りがたい程の
孤独な瞳で眺めていた。きっと感情を何処かに置き忘れて来たんだろう。
彼女は美しくはなかった。そして醜くもなかった。特徴があまりになかった。
ごく普通だった。彼女が笑ったら、恋したら、もっと綺麗になるだろうなと、
ボンヤリ思った。悲しいかな僕はまだ中途半端なケダモノだった。
 行く当てのない筈の道は、いつしか暗闇の中にたたずむカラフルに光る森に
向かっていた。ハッキリとそこに向かうべく細い道に曲がってみた。彼女は平静を
まだ保っている。やがてその中の一軒の前で車は止まった。彼女がピクリと
反応したのを僕は見逃さなかった。僕は言葉もなくその建物を指して(一体、どう
なんですか?)と目で問いかけてみた。...どうか、どうか思いを遂げさせてくれ。
そして後、僕を殺してくれ...。
小さくだがハッキリと彼女はうなずいた。胸のつかえが取れた。車は静かに
建物の中に吸い込まれていった。

 フロントを通り、部屋の番号のボタンを押す。彼女は後ろから黙ってついて
くる。さっきのうなずきがノーではなかったのかという僅かに残った不安も、今は
消え去った。やっぱり帰ると言われたとしても、今なら冷静に送って行けそうだ。
今夜会ったばかりだけれど、僕は受け入れられたのかな。愛し合ってはいない
けど、僕らは少し似てるようだ。そんな幻想はやはり無惨に引き裂かれる運命だった。
 部屋に入る。そういうところにありがちな過度の装飾はない。 シティーホテル
のような上品な部屋。慣れた手つきで風呂にお湯をためる。先にどうかと
促すが、疲れているようで服のままベットに倒れ込んでいる彼女。仕方なく
先にシャワーを浴びる。はやる気持ちを抑えて部屋に戻るが彼女はそのままだ。
仕方なく揺り起こすが、眠っているでもなく起きるでもなく同じ体勢を保ったままの
彼女。何が起きているのかまだ理解できない。諦めきった野獣を天国に誘い、
この期に及んでまたも地獄にたたき落とすとは...。気持ちとは別に体がせつない。
タンクは満タンだ。彼女の気持ちは理解できない。でも想像はつく。しかし孤独な
野獣には共感するほど余裕がない。その固くなった心と体は、急には開かれない。
小さく柔らかい胸に手をあててみた。拒絶は、しかしない。わからない。
前開きのワンピースの不必要に数の多いボタンを外しにかかる。1つ、2つ。
3つ目に抵抗が始まり4つ目の頃には1,2番目がはめられる。馬鹿げた
エンドレスループ。疲れた。もう耐えられない。
「...帰ろうか。」
最後の理性で辛うじて聞いてみた。
それなのに首を横に振る人。
「ねえ、それじゃ...。」
その問いかけにもやはり首を横に振る。
 寝た。正確には寝たフリをした。おとなしく添い寝だ。
そんなはずもやはりなく、寝込んだ筈の人のボタンをまたも悪魔の指がまさぐる。
そして同じ。
 2度目の寝たフリ作戦を試して、諦めた。風呂場にいった。曇りガラスの外では
静かに朝が動き始めていた。
バカみたいだ。世界一惨めだった。慰めた、自ら。辱めた、自らを。

 さっきまでの狂ったケダモノも、毒を出しちまえば静かな哲学者になる。*
風呂から上がって服を着ると、情けない偽善者が1個出来上がる。仮眠でも取りたい
ところだが今寝たらとても起きられそうにない。彼女だけはギリギリまで
寝かしておいてあげよう。備え付けの小袋のインスタントコーヒーを2つ用意。
そのうち1つを飲みながら今までのことをボンヤリ思い出してみる。あまり
ふさわしくないイビキが小さく聞こえている。よく寝ているな。ふと、ちっちゃな
イタズラを思いついた。その子の着ていたコートのポケットに学問のすすめを
一枚忍ばせてみた。首尾は上々。最後の仕返し。不愉快なお節介。
 タイムリミットだ。今度は不純な気分でなくその子を起こす。顔を洗ったら
出掛けよう。ホントはシャワーでもすすめたいところだが、僕には金輪際
そんな信用は得られそうにないので、やめておいた。コーヒーをすすめる。
冷めてしまっている。失敗だ。減点1。それでもチョットだけ口を付けてくれた。
彼女がコートを着込むのが待ちきれないフリで僕は立ち上がった。
背中に気配を感じる。袖を通した。ポケットに手を入れた。視野の隅っこで
またピクリを関知したぞ。偽善者作戦成功。シメシメをかみ殺しながら部屋を
後にする。

 お天道様にはあわす顔がない。朝日が一番似合わない二人。音楽もない無言の
車内。でも不思議に寂しくない。彼女は孤独とやらを見つめる目はもうしていない。
ただ眠そうな、朝日が眩しそうな目。あの瞳は夜と毒の作り上げた幻だったの
だろうか。
「昨日さ...。イビキかいてたよ。」
そんな言葉が口をついて出た。
「そう?ふふっ...。疲れてたからね。」
その子は初めて僕の前で笑った。
そしてまた心地よい長い沈黙。
彼女が指示した場所は、ありふれた住宅街のはずれだった。
「ここで、ここでいい!」
と急に制されて、緩やかな坂道の途中でサイドブレーキを引いた。

「...じゃあっ。」
とその子。
「じゃあ...。...。」
と僕。
その時の僕には見送る権利さえも許されていなかった。言いそびれた空白に当てはまる
最適な答えを見つけられないままで、気持ちまでも無理矢理に方向転換。
発進する前に妖精の最後の姿を探す。が、どこにも見あたらない。
そんな宙ぶらりんな気持ちのままで朝帰りとは...。だけどコイツにはお似合いだ。

 そんな気持ちはすぐに冷めてしまうもの。数日もすればまたサカリがやってきて
獲物を探す野性が戻ってくる。その筈だった。そうなるべきだった。そう望んでもいた。
微熱は予想外に続いた。むしろ時間が経つににつれ高熱のもたらす妄想さえ伴ってきて。
とても手に負えなくなってきた。
 数日後のある日の朝、気がつくと天使を取り逃がしたあの坂道に来ていた。
空っぽな朝の空気。都合のいい錯覚。恋によく似た感情。
顔さえうろ覚えで、友達の所にまだいるのかなんてわかりもしない。
何しに来たっていうだろう。わからない。皆目見当がつかない。
突然、彼女の名前を叫びたい強い衝動に駆られて、ふと気がついた。...名前さえ
彼女の名前さえ、聞いてはいなかったんだ。

---歪められた偶然は、必然たるに能はず
    運命とやらの大きな流れに、その抵抗はあまりに小さい---

すべては絵空事だったのだろうか。彼女は幻だったのだろうか。そして...夢は終わった。
成仏できない恋の亡霊がまた一つ、助けてくれろと産声を上げた。
気がつけば世界はそんな彷徨える魂で溢れている。だから世界はこんなにも寂しい。

 そんな所では見つからないと気がつくまでには、さらに長い、あまりにも長い
無駄な歳月を必要としていた。

 

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