本当の日本の歌

 リチャードは少したどたどしい日本語で僕に言った。
「ゴンタ、与作、私好きね。与作、ホントの日本の歌ね。」
リッチーは僕の友人の生粋のアメリカ人。英語教師でサックス吹きだ。何かの縁で昔ジャズバンド(?)を一緒にやったことがあった。お酒を飲みながら、何かの拍子に急にそんなこと言われて、僕はなんと答えたらいいかわからなかった。不同意を隠すように曖昧に答えた。
「う、うん...。そうかな...、ソ・ウ・カ・モ・ネ...。」
与作か・・・。そいつは悪くない。でも...。その次に適当な言い訳が見つからない。なぜ素直に認められない?与作か・・・。日本の歌か・・・。この心のわだかまりはどこから来るのか。簡単にはけりをつけられない僕がいた。

 本当の日本の歌は?と問われてなんと答えればいいだろう。素敵な歌なら何曲も思いつくかもしれない。しかし日本の歌...というのは難しい。この国に生まれた僕らには日本らしいことは認識しにくいのかもしれない。
 昔、ワールドミュージックというのに興味があった。わざわざ有線放送に加入して世界各地の音楽を聞いてみた。ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中近東、東南アジア...。各地の土地に根ざした音楽というのはそれぞれに力強く、なにものにも替えられない味があるものである。そして行き着くのは世界を一周した場所、「日本」の土着の音楽。先入観を取り除いて聞けば、やはり僕の血に訴えるナニかがある。
 有線には他にも面白いチャンネルが沢山あった。ワールドミュージックでも毛色の違ったものもあった。韓国最新ヒット、台湾歌謡ヒット、東南アジア歌謡ポップス...。そういった音楽はそれぞれのお国柄が現れていて面白いんだが、悲しいかな、どれもみなアメリカやイギリスのポピュラー音楽のマネゴトであった。そんな音楽はすぐに苦痛になってくる。やがてそれは嫌悪感さえ伴ってくる。そして考え込んでしまった。僕らの聞いている日本のポピュラー音楽は...、僕らの演奏しているバンドサウンドは、外国の人にはどんな風に聞こえるんだろうか。そして怖くなってしまった。いい気になってやっている音楽が、ただのマネゴトと感じられたら...、それはとても淋しいことだ。マネゴトはどんなに言い訳したってマネゴトでしかない。スタイルや技術をなぞったところで血の奥から沸き上がる情念は真似できない。黒人のブルースの根本にある悲しみの追体験など出来るはずがない...。上辺だけでココロがない空っぽの箱。そんなやりきれない気持ちになってしまう。

 ...ならば、何をやればいい?この国に住む僕に自然な音楽ってなんだろう?今更、不自然に民謡や演歌への回帰でもないだろう。僕の中から外国の音楽の要素を取り除けばいいのだろうか。しかしそれは、もうほとんど僕の血となり肉となってしまっている...。僕は何をやればいい?僕はナニを歌えばいい?

 実はまだよくわからないんだ。でもなんとなく考えている。ナニかを意識的に真似るのじゃなく自然な自分でいること。肩の力を抜くこと。そして...そう、僕は僕の歌を歌いたい。本当の自分の歌をね。

 

 

 

 

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