君待坂の恋人達

 いつもあまり鳴らない私の携帯が珍しく鳴った。
「ゴンちゃん(もちろん本名の××ちゃんって言っている)、Mゆき、
今から金Kさんのライブが有るの、来ない?えーっと、場所は...。」
Mゆきちゃんは、前ジャズ系のバンドやってた時のボーカリストで
極たまに訳の分からない電話がある。金Kさんは知り合いのベーシスト
で、この土地のアマチュアミュージシャンの中で数少ない尊敬に値する
ベーシストだ。
 基本的にバンドの練習のない夜は暇人な私は、知り合いのライブが
あるなんていうと、たいがいノコノコ出かけていく。その夜もそう
だった。

 小さくコジャレた飲み屋さん、小さなドラムセットとベースアンプ、
ドラム、ベース、サックスという変則なジャズトリオ。サックスは
もちろん生音だ。小さくてもきらめく才能は、片田舎の町の夜に、
やさしく溶けていった。飛び入りがあるかと、こっそり忍ばせていった
カズー(子供のおもちゃ、普通に喋ったり、歌ったりするとサックス
の様な安っぽい音がする)はポケットにしまわれたまま、お約束の
アンコールまで終わった。店の常連の客達は一人、二人と帰っていく。
そのうち、 残った身内だけでささやかな打ち上げの準備が始まる午前
1時。「それじゃあ、そろそろ」と言いそびれて、場違いな席に少し
肩身の狭い思いでおじゃまするはめになった。

 「サックスの音、いい音してますね。」「ドラム叩いている時の
表情やアクションが最高すよ。」
本当は人見知りのはずなのだが...、初対面なのに気安く話しかけている、
少し酔った私がいた。誰かが熱っぽく話しているのが耳に入った。
「...それがすごくいいのよ。普通に人が書いたラブレターばっかり集めた
本なんだけど。偶然見つけたの。...の店に置いてあって、何気なく読んだ
ら、....。....特にかなりの年のお婆さんが書いたのがいいのよね。確か
“天国のあなたへ”って題名だったかしら...。...でもね、立ち読みする
ぐらいならいいけど...。...重いのよ、手元に置いておくには、重すぎる
かも...。でもいいわよ。....」
何てへんてこりんな勧め方だろう。なんだか妙に気になって、その人が
しきりに繰り返すその本の題名をこっそりと、でもしっかりと脳味噌に
刻みつけながら家路についた。

 次の日、私はやはり本屋にいた。「日本一心のこもった恋文」って
題名の本を探して。なかなか見つからない。恥ずかしくて、とても
店員になんて聞けそうにない題名だ。ようやく本棚の隅っこに、その
題名を発見。しかし題名の下に「4」って数字が付いている。目次を
見てみる。“天国のあなたへ”は見つからない。ため息ひとつ、レジに
向かう。本をカウンターに置きながら、店員と視線を合わせないように
聞いてみた。
「この本の一巻から三巻って、ないですか。」
「あー...それは取り寄せになりますが...。」
「じゃあ、お願いします。」
「時間...かかるかもしれませんよ。...随分前に出た本ですから...。」
「えっ、あっ、でもお願いします。」
結局四巻だけ買って帰った。少し読んだ。確かに重めだ。いや重いと
いうより生々しい。全巻そろってから読むことにした。言い訳一つ。
答えは先延ばし。
 程なく本屋から連絡があり、残りは揃った。言い訳は無くなった。
愛情不感症?信じたいのに信じられない。欲しくて仕方ないのに、すぐ
に逃げ出す。嘘つきの弱虫の、胸の奥の方の秘密の箱の錆び付いた
鍵は、いともたやすく開けられた。立ち読みしなくてよかった。不様な
姿を人目にさらせるほど、弱くもないし強くもなれない。ほんとはまだ
全部読めてはいないんだ。心が風邪をひきそうな時には、読まない方が
いいかもしれない。慢性の風邪は、当分治りそうもない。//

・きみまち恋文全国コンテスト・作品紹介