一生懸命・・・

 今朝、スカパーのスターチャンネルで「ソフィーの世界」を見ました。映画を見る余裕を取り戻しました。この本は途中まで読んでいたんで内容が分かり易かったです。そして何となくいい気分になれました。今日書こうと思ってることについてヤフーの掲示板を見ました。日本人と外国人について見て回りました。そしてウンザリしました。民族性の違い、習慣の違いを完全否定の罵倒でしか解決できない世界を目の当たりにして呆然です。今日はその辺が少しデリケートなんですが、注意深く書こうかな。

 前、会社で外国人の方と仕事したことがあったんです。日本人と結婚された女性の方で日本語も上手でした。僕は戸惑いながらも仕事の進め方、会社の中のルールなど教えながら働きました。でもなかなか大変で、僕ら的「当然」を理解してもらうのに苦労しました。日本人でも人それぞれで、言わなくても凄く勤勉な人もいれば、そうでない人もいます。そうでない人も「勤勉」のイメージだけはあるみたいで、注意したり一緒に働いてると、どうにか勤勉のフリは出来るんです。で、言いにくいんですが(個人の性格とかもあると思うのですが)その方は僕らの持つ「勤勉」のイメージは持っていらっしゃらなかったんです。でも不真面目という訳ではないんです。僕に楽しそうに話しかけてきます。楽しく仕事をして楽しくプライベートを送ること。僕らからみる勤勉とは違った価値観があるんですね。僕は困ってしまって考え込みました。「郷に入っては・・・」ではないんですが、どうやって説明しにくいイメージをわかってもらおうかと思案しました。考えていくと困った事態に行き着きました。もしその状態が許されるならば、彼女の価値観はなにも間違ってないんです。必要でないならば、そんなに必死で働くことなんてないんです。必死で働こうが気楽に働こうが、大体においてそんなにお給料に跳ね返ってくることはありません。気が付かなかったけれど僕らは「汝、勤勉たれ」という消せない重荷を背負っているんです。多分それが超自我なんですね。実践していても、していなくてもね。

 気が付いてからも「勤勉」のイメージは強烈でなかなか消えてくれません。でも気が付いていると少しだけ逃げ道が出来ます。
 かなり沢山のイメージを背負っているんです、恐らくはね。気が付いていないモノがほとんどかもしれません。

 だから生きることはこんなに肩が凝るのかな...。そんな風に思いました。

戻る

ホーム