偽善

 自分の中をいろいろ彷徨ってみました。言葉になる前の伝えたい感覚の証拠を探してみました。どんなに正直に嘘のない気持ちを伝えようとしても、やはり偽善が混じり、醜い自意識が露骨ににじんでしまいそうです。そんな今日の私を許してくださいますか?

 さて、今から書くことは、あまりに感覚的で抽象的、そして無意味で
証明不能な下らないことです。そこにある大いなる絶望の前に一欠片の砂粒ほどの価値もありません。そして、ある種のより救いのない気分を呼び起こしてしまうかもしれません。ですから話半分で流してください。

 私はほんの少しだけですが、アッチの世界を感じてしまうことがあります。姿を見ることはあまりないのですが、気配とか、何と言ったらいいのか...、肌感覚とでも言ったらいいようなモノを中途半端に持っているようです。それは制御もできず、波があり、何の役にも立ちませんがね。
 そして漠然と感じます。肉体を無くしても魂の平安を手に入れられないものが沢山いるんだなぁってね。きっといろいろなかたがいて、事故や病気で心ならずも生きられなかったり、何かしらの絶ちがたい思いをコッチに残しているために完全に向こうに行けなかったりと様々です。中にはもちろん自らの意志で肉体を捨てた方もいるかもしれません。そんなにハッキリとは断言できない位の感覚なので...、多分そうです。あてもなく彷徨う方、ある場所から動けずにいる方、同じ様な思いを肩を寄せ合って共有する方。色々です。こういうの書いてると寄ってくるので、今、背中がやな感じですが...。で、やがて何かに気が付いて、彼らも向こうに行くのですが、それまでの期間は実に様々のようです。自然な形での肉体の消滅でない場合、比較的その期間は長くなるようです。さてそれが、数年か数十年かわかりません。強い執着や無念を持つものは、もっと長い時間を必要とする場合も...あるでしょう。さてそのあまりにも長い時間を暗闇の中で同じような絶望のまま、過ごす覚悟はお有りなのでしょうか...。気になります。(こんな話あてになりませんね。)

 そしてね。もっと厄介なことがあります。全く確たる証拠などありませんが。自らの意志で肉体を消し去る行為は、リセットにしかならないのだということを、説明できないけれど感じってしまいます。つまり、振り出しに戻って全部やり直しになるんです。また子供の頃から、同じ様な環境で、似通った感覚を味わい直す。どうでしょう。出来れば避けたいですね。

 そんなことは全く根拠のない話です。どうぞ無視してください。でも、この感覚をココで吐き出さないといけない気がしたんです。

 皆さん方から比べたら程度は馬鹿みたいに軽いけれども、やはり私の中にもまた、説明のつかない自己否定があります。
 そして、もしそんな馬鹿げた向こう側の感覚がホントだとしたら...、この辛い生きている時間をどんな風にやり過ごしたらいいのか、私にはまだ答えがありません。恐らく当分出せないと思います。そんなことを考えて、既に人生も半ば...。人目には笑える悲喜劇。神秘主義や宗教かぶれが嫌いだったのに、似たような場所に出てしまう自己矛盾。

 生きてもいいし、生きなくてもいい。ダメでもいいし、頑張らなくてもいい。考えなくてもいいし、考えてみてもいい。諦めてもいいし、意味がないと感じてもいい。笑ってもいい、嘲ってくれていい。何かを伝えたいという思い上がりを、どうか許して、そして殺してください。

戻る

ホーム