自由ついての今昔物語

 大昔、人類は説明の出来ない問題を神話という形で説明した。近代以前、何になるか(何がやりたいのか)という問題で悩む人はほとんどいなかった。農民の子は農民、商人の子は商人...。選択の自由がほとんどないかわりに受け身でいられる平和があった。はみ出してみたって道はあんまりなかった。
 現代、神話は崩れ、科学は心の神秘を解読出来ずにいる。いかにして食っていくかをみんな自分で見つけなくてはならない。自由はとても不安だ。だから悩んだり、不安定になったりすることは実はとても自然なことなんだ。昔から悩んだり考えたりしてきた人も少しいた。でもその他の人々は日々食いつなぐのに精一杯でそんな時間さえなかったんじゃないだろうか。自由であること。豊かであることが僕らの心を曇らせている。少し皮肉だね。
 考えよう。逃避しよう。正論を疑おう。少し流されよう。小さな平安を喜ぼう。僕らは確かにここにいる。僕らは名もない虫けらだね。虫けらも虫けらなりの歌を歌う。それは何の歌だろう。愛の歌...、断末魔の呪いの歌...。愛の後には死が待っている。そんな自然の摂理を受け入れてみる。死ぬ前まで歌ってやろう。何を歌えばいい?考えるのはナンセンス?心のままに...がいいみたい。

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