バッティンクピッチャー

 煮詰まっていた。ギターにも、バンドにも。大学2年の私は悶々と日々をやり過ごしていた。
判っていた。弱点も、限界も。悪いことに一部の先輩に評価されていた。滅茶苦茶、弾くのは
得意だった。今よりもっと不安定だった当時の私は、思い込みと自己嫌悪の間を揺れ動いていた。
頭がいいわけでもない、スポーツが得意でもない、取り立てて格好いいわけでもない。話が面白い
でも、金があるわけでもない。動機は不純だったが(今でもそうだが...)ギターしか無かった。
致命的なリズム感の悪さ、不器用さ。私が1ヶ月かかって、まだ出来ないことを3日でやるやつが
沢山いた。

 気分転換にベースを始めた。少し固くなった右手の指先をベーシストの先輩に見せたら
そのルートで、ベースとしてあるバンドに参加することになった。ギターのバンドは解散した。
ベースのバンドだけが残って、いつの間にかベーシストと呼ばれるようになってしまった。
ベースのバンドはギター2人、キーボード、ボーカル、ドラム、そして私と6人編成で、ボーカル
の人が作るオリジナルのPOPな曲をやるバンドで、みんな年上。その上、ドラムの先輩と私以外は
同じ学部の同じ学科で一種の“なかよしこよし”的な雰囲気。ギターの先輩もいい人達だったが、
テクニック重視でない分、少し・・なもんだから、これは結構ストレスが溜まった。誤解の無い
ように言っておくが、このバンドはその先輩達が卒業するまで続いたし、活動もそこそこ勢力的で、
私のバンド人生(ただの素人が何ぬかしとんねん)において最初の手応えのあるバンドだった。
楽しかったし、後悔なんてしていない。でも最初の頃は地獄の苦しみだったんだ。他にギターで
バンドでも作ればよかったのだろうが、何がやりたいのかさえ分からなくなっていたその頃の私は
そんな気力なんて持ち合わせていなかった。ただしがみついていただけだった。“バンドやってる
自分”に。
 やる気なんか無かった。部室での練習から帰ってきて、一度も楽器をケースから出さずに、次の
練習に行く。コード進行の書いた紙を見ながらハーモニーのルートと5度で適当にリズムを刻めば
即席ベースラインの出来上がり(例えばCというコードはド、ミ、ソって3つの音の和音なんだけど
コードCでのルートはドで、5度はソ。ド、ド、ソとかド、ソ、ドとか...)。なめていたし、バカに
していたんだ、ベースという楽器も、ベーシストも。弦は4本しか無くて、簡単で何の面白みのない
ベースいう楽器。ギターが上手くないやつが最後にやらされる惨めなベーシストというポジション。
 オリジナルをやるということは、何かの曲をコピーするという作業を必要としない。カセットを
1音1音巻き戻し、必死で音を聞き取る。慣れるまで、かなりシンドイ地道な作業だ。音が取れても、
その通りに弾けなければ何の意味もない。ひたすら出来たと思うまで繰り返されるその行為は、
機能的にも(指がよく動くとか)、音感的にも(相対的音感の強化、聴音能力の強化)、音楽的
にも(まがりなりにもプロフェッショナルと呼ばれる人たちの演奏を模倣する訳だから、彼らが
その曲のその場面でリズム、ハーモニー、メロディーにどのようにアプローチしているかという
総合的な意味での)かなりの訓練、学習になる。ギタリストの時にも苦手だったコピーという作業
を完全に放棄して、基本的なトレーニングさえしない。ただ家で1人、当てもなくギターを掻き
むしる。無伴奏の無意味な音の羅列の中に何かが見つかるはずもなかった。

 ある日、大学の帰りにその近くに住む友人の家に遊びに行った。彼はギタリストであり、同じ
高校の出身である。1年浪人して同じ大学に入ってきた。エモーショナルでパワフルなギター。
私は憧れ、そして嫉妬していた。部屋にあがり、放置してあるギターなんかつま弾きながら、何か
の拍子にバンドの話になる。
「バンドの調子はどう?バンドでギターはもう弾かないの?」
「・・・。」
かなりの力で押さえつけられていた物が、急に腰砕けになってしまった。弾かないんじゃないんだ。
弾きたくても弾けないんだ。歯を食いしばってこらえ、斜め上を見上げる。
「・・・弾きてえよ、ギターが・・・。」
得体の知れないうめき声が口をついて出ていた。ひとときのばつの悪い沈黙。
「バンドやるかい。俺がベースで、おまえがギターで...。」
そんなお情けでギターを弾いて何になるだろう。まがい物は、やっぱりまがい物だ。気を取り直して
今度はしっかり心にたがをはめ直し、出来るだけヘラヘラしながら、その場を誤魔化し自分をも
誤魔化しながら家に逃げ帰った。

 何も変わらない日々はそれでも平穏に過ぎた。ベースはやっぱり好きになれず、それ故、自宅では
練習もしない。けれど、その問題だけは、うまく意識しないで切り抜けていた。
 テレビを見ていたんだ。見ていたというより眺めていたと言った方がいいかも知れない。あまり
面白そうでないドキュメンタリー。バッティングビッチャーの話だった。ふーん...て感じで...。ただ
チャンネルを変えるのも面倒臭いって、とても受動的な気持ちで...。
 しばらくして、テレビの前には硬直した奇妙な生き物がいた。赤くなった目をまばたきもさせず、
じぃーっと画面を食い入るような目で睨み付けている、奇妙な生き物。優しそうな彼は、しかし時々
寂しげに遠くを見る。彼は名もないバッティングビッチャーだった。やれるかも知れない。いや、
やってみせる。自信やおごり、自惚れと不安。ドラフト何位か、何を思ってその球団に入ってきた
のか。それはほんの数年前のこと。怪我に泣き、与えられたチャンスは掴めず。何シーズンがを
過ごす。オフのたび、不安になるのは来期の契約のこと。自由契約...。事実上の解雇通告だ。しかし
彼を待っていたのは、それより辛い言葉だった。
「バッティングビッチャーをやってみないか。」
一度も立てなかった一軍の華やかなマウンド、眩しいカクテル光線を浴びてテレビをにぎわす
スター選手たち。カメラのフラッシュ、ヒーローインタビュー。決して表に出ることのない、背番号
のないユニフォーム。彼らのために打ちやすいように、打ちやすい球を。それまでとは正反対の
使命を背負って。
「調子を崩しているバッターには特に気を使います。出来るだけ打ちやすいように、好きなコースに
と。」
 スランプだった4番バッターのバットから、久しぶりに快音が聞かれた。彼が家路を急ぐ頃、
スタジアムは歓声に包まれていた。

 家に人に気づかれないように、用心しながら階段を登った。部屋に入ってベットに倒れ込む。
心のたがを少しゆるめて、頭から布団をかぶる。声を出して泣いた。

続く

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